借り物の自分

少し前に読んだ本に
「自分のことを大切にできない人は、その自分の身体は大切な人からの借り物だと思うといい。そうしたら傷つけないよう綺麗な状態で返したいと思うでしょ?」
と書いてあった。
思わず、なるほど!と口にしてしまうほど新たな視点だった。

私は人からどう思われるかという視点で、痩せたい綺麗になりたいを考えていたけれど、
借り物だと思えば、体重は少し軽いほうが動きやすいかな、肌は乾燥していないほうが嬉しいよな、歯は綺麗なほうが食べやすいいよな
など、この身体を返却された人がありがとうと喜んでくれる状態を創ろうと思えた。
自分のためと思うと頑張れず、誰かのためなら頑張れる性分の私(これは他人からの評価を気にしているのかもという自戒も含め、、。)には、この視点はとてもマッチした。

痩せていることってそんなに大切なの?
時折こんな言葉も聞こえてくるが、そりゃあ痩せている人がみんな幸せなわけではないのは重々承知している。
痩せていない自分を認めてあげて、太ってても自分は自分。
それもとても大切な考え。
ただ、痩せ願望が強い人にとっては、幸せを構成する要素において”痩せ”の割合が多いのだ。
でも、その痩せたいは何のため?
綺麗になりたい、着たい服を着たい、彼氏が欲しい色々ある。
じゃあその”~たい”は誰のため?
自分のため?
一見そうかもしれないけど、その奥には
痩せて人から綺麗と思われたい、着たい服を着て人から褒められたいが潜んでいる可能性もある。
綺麗になって、着たい服を着て、彼氏ができて周りから何の反応もなくても満足できるだろうか?
なりたい自分になれたこと、それ自体にOKをだせる自分でいないと、一生足りないものを追い続ける人生になってしまう、、、。

痩せ願望が強い人にとって、痩せるというゴールを達成するのは大切なことと思う。
でも自分のためにという前提があったうえでだと思う。
その自分のためにが難しいときは、前出の借り物の身体をなるべくいい状態で返すためという視点を持ってみるのはどうかなと思う。

借り物を丁寧に扱う。
その丁寧さがほんの少し気持ちを穏やかに、そして豊かにしてくれる。
その気持ちの余裕が、自分自身にむける言葉や眼差しを優しくしてくれるのかなと思っています。


もうすぐ春!
柔らかな心で春を迎えたい。

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