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治療アプリの開発にみるインテリジェンスの必要性
2022年5月28日の日本経済新聞のオピニオン欄に、コメンテーターの村山恵一さんが、「アプリがつかむ患者の心」という記事を書いています。
治療用アプリがもたらす変革
「デジタル療法が切り拓く新しい医療」というコンセプトのもと、治療用アプリを開発している株式会社 CureAppが、世界で初めて、高血圧向けのアプリの承認を得えました。ここから、ソーシャルイノベーションとデザインの関係について論じています。
2000年代初めに私は製薬企業にいましたが、将来化合物を飲むことなく、病気を治す時代がくるだろうなと漠然と思っていました。当時はまだスマートフォンもなく、森林浴のようなリラックスできる空間を作ってみたらどうだろうなんてことを考えていました。
治療用アプリの登場は、化合物を飲むことなく病気を治す時代の幕開けであり、社会変革と言っていいでしょう。医薬品の開発や製造には多大なコストがかかるのに比べて、アプリの開発・製造にかかる費用はかなり低いと言われています。医薬品の場合は、最初にベンチャーが開発していたものも、臨床試験以降は大手製薬企業にライセンスアウトすることがよくあります。アプリの場合は、今回のCureApp社のように、ベンチャー単独でも開発可能で、産業構造をも変えてしまう可能性を秘めています。
治療アプリ開発への洞察
この治療アプリはどのような発想で出てきたのか、とても興味があります。
CureApp社の創業者で、代表取締役社長である佐竹晃太さんは、もともと臨床医でした。医療現場以外のことも知りたいと、中国で経営学を勉強し、その後米国のジョンズ・ホプキンス大学院に留学しました。そのとき「公衆衛生学」と「医療インフォマティクス」を専攻し、ITに触れることになりました。
世界初の治療用アプリは、WellDoc社が開発した糖尿病治療アプリ・BlueStar。佐竹さんは、このアプリの論文に出会い衝撃を受けたと言います。
このアプリを使った人は血糖状態を示すへモグロビンA1cが使用してない人と比較して、1.2も下がっていました。薬の場合はこれが平均して0.9くらいですから、そんじょそこらの薬を飲むよりも効果があるんですね。
内科医目線でこれを見たとき、「これまで自分がやってきたことは何だったのだろうと思った」。内科医にとって「病気を治す」とは「薬を飲んでもらうこと」。それが薬を飲まずにアプリと毎日向き合うだけでよくなってしまう。しかも開発費は日本円で数千万から数億円。新薬の開発が数百億円から数千億円もかかるということを考えれば、これは「高騰する医療費のソリューションそのもの」だとも思えた。
~スマートフォンアプリであなたの病気がよくなる時代へ~
佐竹さんは、帰国後、CureApp社を創業します。
それでは、世界初の治療アプリ、BlueStarはどのような経緯でできたのでしょうか?
佐竹さんによると、WellDoc社の創業者Ryan Syskoは糖尿病の専門医、患者さんが「自分の数値を携帯電話に記録できると便利」と言われたことがきっかけで開発したそうです。患者さんは、日々このような声を医療関係者に発しているのではないでしょうか。
ここで重要なのは、患者さんが言ったことそのものではなくて、その裏に隠れているニーズ、あるいは患者さん自身も気が付いていないソリューションの種を見つけることです。
私の父は、毎日、朝と夕方血圧を測って、ノートに数字を記録し、変動をグラフで可視化しています。最新の血圧計だと、自分で記録しなくても測定値をスマホに送ってくれたりしますが、単に数字を記録しプロットするだけなら、ノートに書くのが実は一番簡単だったりします。
しかし、医師が治療方針をたてるためには、デジタルデータになっていた方が分析しやすいですね。このように考えてくると治療アプリの本質が見えてきます。医師に診察してもらうのは月に1回だったとしても、アプリがあると、いつも医師がそばにいて見守ってくれて、生活習慣の指導もしてくれます。そのため、薬でコントロールするよりも改善が見られるようになるのです。
本質を見抜くインテリジェンス
患者さんにヒアリングしたり、観察したりという行為は客観的で標準化させることは可能でしょう。しかし、その先、何が本質的かを考えることは、それまでの経験や価値観が影響します。
アーティストの篠田太郎さんは、よくインテリジェンスという言葉を使います。インテリジェンスとは「有用な情報に基づき知的な行動を起こすこと」と定義されています。
私は美術という領域で”インテリジェンス”に近づこうとしています。科学と美術は諸刃の剣ではあるけれど、より美術の方がジャッジが難しい。
今やっていることが100年後になってやっと理解されるかもしれないし、されないかも知れない。それでも僕としては人類がインテリジェンスを獲得することをテーマにして、作品を作っていこうとしています。
篠田さんは、ビジネスパーソンは根本から考えることをほどんどしていないと一刀両断してしまう猛者で、彼と話をするには、まさにインテリジェンスが要求されます。
例えば最近の映画は、製作費が非常にかかるため、ターゲットを広くする必要がある。そのためわかりやすいストーリーになってしまい、鑑賞者が考える余地があまりなくなってしまっているものが多いと指摘します。
これは、映画に限ったことではなく、いろいろな場面で、わかりやすさが追求されています。これではインテリジェンスは磨かれない。
美術もそうで、ある程度のインテリジェンスを要求されるし、
物事の考え方だったり、自分の意見を持っている観客が観て、自分で価値観を見出すことを要求しているものですよね。
僕のビデオ作品は僕がどういう思いで作ろうが、鑑賞者は地図から情報を受け取るときと同じで何か目的だったり”どういう情報が欲しいか”、っていうものがないと僕の作品なんてなんの意味もない訳です。
逆に”なんのストーリーもなく、解説もないから(アートは)考えることが難しい”と感じてしまうのは世の中が今、そういう仕組みになっていないからでしょうね。
インテリジェンスをもたらうアーティスティック・インターベンション
『ハーバードの美意識を磨く授業』の著者、ポーリーン・ブラウンは、Aesthetic Intelligenceがビジネスには重要だと言います。
すべての企業は、創造性と先見性を併せ持つ人物を経営陣に加え、同等の権限を認め、才能を最大限に発揮できる機会を与えるべきだ。何から何まで財務的思惑に基づいて判断してはならない。
ポーリーン・ブラウンのこの言葉は、まさにアーティスティック・インターベンションのことをさします。組織をインテリジェントにするには、アーティストのような、ビジネスの世界とは離れている人の力を活用することが効果的になるのです。
アートで重要なのは説明ではない。
可能性を開くことだ。
広告は、宗教と同様、真実を伝えようとする。
アートはそうではなく、
むしろ嘘をつくことを目指すべきだ。
マウリツィオ・カテラン