漢詩や和歌の歴史と現代のマーケティング
詩文の字句をあれこれ考え練ることは、現代でいうところのマーケティングやブランディングに近い部分ではないだろうか。
ターゲットが個人だったか世間や世論に向けてかの違いはあれど、幅広く多くの人に受け入れてもらいたいという概念は近いところがあるように思うのだ。
決定的に違うのが、現代と比較するとコンテンツが圧倒的に少なかった時代が過去だったということだろう。
つまり、詩文にこれでもかというくらい力を入れたというか、気合いの入った人たちはいたのだと思う。
詩文を使ってでなければ意思を伝えることができない場合もあっただろうし、なにせ現代のSNSに取って代わるものだったはずだからだ。
漢詩の歴史
日本の文化の根本は古くは中国大陸から伝わってきていることは、ほとんどの人が教育で習った部分であるはずなので知っていることだろう。
その中の1つが詩歌で、漢詩が日本に伝わってきて和歌という日本独特の詩歌の文化に変遷していったとされているのが一般的な解釈だ。
要するに、漢詩がベースとなっているわけだが、中国の詩は3000年以上の歴史があるといわれており、紀元前12世紀頃に漢詩の源があるという。
紀元前12世紀から紀元前6世紀頃、周という国から春秋時代といわれる約600年、黄河流域で歌われていた歌謡の中から、305編を孔子が選定した。
これが詩経といわれ、漢詩の源をなすものとされている。
春秋時代に続く戦国時代(紀元前403〜紀元前206年)に、長江流域に楚の国が栄え、長江流域にはやっていた民謡が屈原(くつげん)という詩人によって整えられた。
これが楚辞と呼ばれ、詩経は北方文学、楚辞は南方文学の代表的な作品として語り継がれている。
続いて漢(紀元前206〜紀元後220年)代に入ると楽府というのが流行する。
漢の時代に宮中で音楽に合わせて歌われたものが楽府という文化ということになる。
詩経は四言、楚辞は三言を基調としていた。
後漢の末頃(2世紀末)に読人知らずの古詩十九首の五言詩が生まれ、以後500年くらいは五言詩の全盛時代となる。
三言とは一句が三言から成るという意味で、四言は一句が四言、五言は一句が五言という具合だ。
その後、魏、晋、南北朝(3世紀〜6世紀)を経て、唐(628〜907)の時代に入ると七言詩が生まれる。
この時代に李白、杜甫、王維、白居易といった多くの有名な詩人が生まれ、様々な法則が確立されると、これが近体詩と呼ばれ今日に至るまで、その法則に漢詩は基づいている。
日本では、平安時代に菅原道真や空海たちによって漢詩も高められ、鎌倉から室町時代にかけて五山の僧侶を中心として栄えた。
そして、江戸時代に入ると、荻生徂徠、頼山陽など多くの漢詩人が輩出し、全盛時代を迎えることとなる。
明治以後もその伝統を受けつぎ、今日でも多くの吟詠家によって、詩吟として歌われまた漢詩を学び作詩する人も多々いる。
今さら聞けない和歌ってなぁに?
漢詩と和歌の違いといわれてもいまいちピンとこない人が多いのではないだろうか。
とはいえ、先述したとおり、日本の詩歌と中国の詩歌は密接な関係があるということは、なんとなく理解できるはずだ。
もちろん、漢詩の方が歴史が長いのだが、時代の変遷および文学の発展方向の違いにより、両国の詩歌はそれぞれ異なる特徴と発展方向を持つようになった。
だからこそ、わかりにくくなっているのだが、平安時代を例にするとわかりやすくなる。
平安時代は西暦でいうと794〜1185年で、794ウグイス平安京で暗記した人も多いはずだ。
そして、この平安時代は、女性の地位が非常に高かった時代だった。
いい意味で陰陽のバランスの取れていた時代で、平安時代には死刑というものがなかった時代でもある。
その中で、漢詩はどちらかというと男性的な文化、和歌はどちらかというと女性的な文化とされていた。
つまり、下記のようなシンボリズムが成立していた時代だった。
陽
男性
漢字
万葉集
日本書紀
陰
女性
ひらがな
古今集
古事記
もちろん、男性も和歌を書くし、万葉集は和歌を集めたものだということは事実だ。
ただ、賀茂真淵は古今集は「たをやめぶり」、万葉集は「ますらをぶり」と評していることに象徴されていることがある。
それは、万葉集に原始的な力強い歌が多く含まれていて、古今集の時代になると洗練された歌が多くなるといったものだ。
また、漢詩を書く女性は少なかったのではないかとされている背景もある。
この流れの雰囲気が伝わる史実がある。
村上天皇の御代に行われた詩合わせ、歌合わせだ。
天徳3年(959年)8月16日に初めて男性の宮廷人が清涼殿に集まり、詩合わせを行った。
そのとき、女房たちの間で殿方たちが詩合わせをするなら、女たちも歌合わせをしましょうと、翌年の960年3月30日に豪華な歌合わせが行われたのである。
こうして、漢詩と和歌の文化が複雑に混じっていくことで、日本独特の詩歌が生まれていったというわけだ。
現在のマーケティングに通じる部分
漢詩にしても和歌にしても、とどのつまり伝えたいことが相手に伝わらなければ意味がないということは理解できるだろう。
相手に歌を伝え、相手から返ってきた歌に対してまた歌を返す。
これが現在のマーケティングに繋がると主張することは、いささか強引かもしれない。
個人に向けての歌なのか、大衆に向けての歌なのかによってもその位置づけは大きく異なるだろうし、相手の捉え方によっても印象が大きくことなる。
こうやって書くと、仕掛けをするという意味では共通していると思わないだろうか。
相手の気を惹くために新たにキーワードを作っただろうし、きっとその言い回しはクールだとかセクシーだとなったりしたはずだ。
また、特定の相手にしか伝わらない言葉を織り交ぜたかもしれないし、韻を踏むことで印象づけるといったこともやったはずだ。
俳句や短歌のように現代文化でも楽しまれているものもあるし、その音はどこか心地良く感じてしまうのも、どこか遺伝子があるからなのかもしれない。
その証拠に現代の教科書にも出てくるような詩人がいて、テスト問題にもなったりするわけだ。
本当の気持ちなど、当人にしかわからないのにテストになって回答があることが滑稽だと私は穿った見方をいてしまうタイプではあったが、これもまた現代の事実である。
まとめ
詩をよむということ、歌を読むということは、基本的には異性を口説こうとする行為だということは大人になれば誰だってわかる。
漢詩の歴史を遡ると3000年以上も前になるということで、その頃から相手の気を惹くためになんとか上手く言葉を使おうとしていたわけだ。
その風習は現在にも残っていて、新たなバズワードを生み出そうと必死になったり、ABテストをして相手の行動を見たりすることはビジネスにも通じている。
そうやって考えると、マーケティングの媒体や方法が変わったとしても、人の根本にある感情に訴えるという部分では昔から変わらない部分があると思うのである。
学生時代には漢文や古文を習う意味が全く理解できなかったが、大人になってマーケティングやブランディング、もっというと広報とかPRについて考えると、無駄だとは言い切れない気もする。
要するに、詩人として歴史に名を残している人たちの言葉を組み合わせていけば、現代にも通じるバズワードを生み出すことができるかもと思った次第である。
【Twitterのフォローをお願いします】
株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。