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そう熱くもなるよ~微熱さんと愉快な仲間たちの熱いトークを再録する試み~byそうたい


もう私、興奮してしまって「ついに捕まえたぞ!」って感じ。会場にひびき渡る大声でわけのわからないアート論を展開しました。

ブックカフェの報告をします~超特大号より微熱さんが熱くなってる様子より

はじめに

(アートor美術に取り組む際に)私は自分を律するルールを求めてる

微熱さんかららもらえた決め台詞からの引用より

これだけ聞いて微熱さんが何を言いたいのか理解できたら、それはもう微熱さんの哲学をおそらく理解し終えてるかのようなスーパー解説者になれるのかもしれません。

学芸員さんとかこういう議論及び理解とか詳しいのかも。

今日は私なりの微熱さんの視点とか感性とかに触れたいという試みとして、ブックカフェ内でのおしゃべりの再構成という試みをみなさんにシェアしたくて、拙いなりに、トークというか、議論というか、どんなおしゃべりで盛り上がったのかという内容を

(内容が無いようぅではなくて)

たっぷりとリアルに臨場感を再現しつつ、ここで再録したいというものです。

微熱さんのファンの一人として自称生活科学者のそうたいなりのアプローチなのですね。

微熱さんへのそうとうキツイ偏愛かもしれないですし、あながち、知ったかぶりとか誤解とか、どこか鼻につく点も何点か難点があるかもしれません。

ただ私は美術とかアートとか絵心とかはまったくの初歩からの初歩というようなフレッシュな気持ちで微熱さんの深層心理に迫ろうとしたものです。

もしお時間が許せばゆったりとよろしければお付き合いくださいね。

えー、さて。では始めたいと思います。

きっかけは次のようなものでした。

ブックカフェイベントでアートについての対話が面白かったと興奮気味の微熱さんが🕶さん(=頭文字Kさん:プライバシーのために仮名としておきます)を連れて私の前にやってきました。

Kさんはnoteについてはまだ未知の世界だったようでした。でもでも、今回そんなことはまったく棚上げして面白いトークだったんでシェアさせてもらえたらと思います。

そうたいは書道の人で絵心は皆無といっていいほどです。

なのにも関わらずKさんが普段習い事をしてる中で音楽と書道との共通点を発見されたそうです。

私は最初「止め、はねなどの基本ができていないといけないという点なのか」ということか質問します。

クラシック音楽においてピアノで次の音は弱くとかこの音符の次の音は強くなど表現の枠について、書道と音楽は通じるところがあるとおっしゃいました。

私の愚問はあながち間違ってはいないのですがKさんの本当に言いたいこととは少しずれてるみたいでした。

クラシックのことは詳しくないですけれど、そうたいはジャズなら多少話せたのでジャズの即興性について語り始めました。

Kさんはクラシックの人がやる即興とジャズマンのやる即興では微妙に違うとか、クラシックはリズムキープにおいては緩さがあるものの、ジャズはドラムスがしっかりと枠を組むことで厳格なルールがあるよ、という話題を前に進めて行きます。

私のつたない知識で美術史で写実主義から印象主義、そしてシュールレアリスム、そして、最近のトレンドを追いたいと微熱さんにおねだりしました。

アートの最先端ってなんですか?とか私は無茶ぶりに近いような質問を微熱さんに委ねます。

そういえば、アートの作家は観客に何をされてもよいというような過激な作品や、徹底的にあいまいな全体を描き、ごく一部だけ精密に描くような作品が今の流行なのかもしれないと解説をしてもらいました。

さらに、微熱さんからも「美術も基本ができていないと作品にならない」というコメントをもらいます。

そうですよね。光があたってどこに影ができるとか?

写実する時にどこに骨があり、どこに筋肉がついていて、どこに体毛があり、とか基本のデッサンなど素養があるアートとまったくない人の作品では明らかな差があるかと思うのです。

そうたいはふむふむと感心します。

そういえばレオナルド・ダ・ヴィンチなんて美術もできれば発明だってなんだって知ってるし、遠近法とかで有名だったりマルチな才能の持ち主だったような…。

話は核心へ向かって進んでいきます。

書道も音楽も美術も共通していて一致してる点とは?

守破離の道のりのある書道や美術や音楽

Kさんの問題提起:「先天的に何を美しいとするか?はあらかじめ定まっているんじゃないかな?」

美学の一番おもしろい命題になっていくようでした。

私は的外れな発言をしてしまいそうで内心でオロオロしつつ、なおも話し合いはとても刺激に富み先へ進んで行きます。

こういう時は議論の行く末の少し先の様子をあらかじめ自分の心の内部に用意しておき、常にその予想と一致してるのか?いや、そこからは離れていってるのかとか?

いつも内心で見張っていかないと自分が迷子になりそうな心細いそうたいでした。

いや、話に夢中になりすぎると逆説的ですが、そんな気持ちの用意が必要とされる場面があるんです。

芸大生の受験において「自然光の美しさとは何か」が大事になるらしい。

そんな話題に私が興味があったので微熱さんやKさんに解説をお願いしてみました。

蛍光灯よりも自然の光がよいという話題を私は連想しました。

そこで、(私は写真関係で働いています。自然光の美しさとは対義語が人工の光例えば蛍光灯やガス灯やろうそくの光などとの対比かと思って聞いていました。)

自然光といえども、例えば、朝昼晩のいつの時点の光なのか?
天気は晴れなのか?
雨なのか?
曇りなのか?

気候はどこの国の気候なのか?
熱帯とか寒帯とか?
同じ自然光といえども多様なんですね。
一概には言いえない。

自然光といえどものすごい種類の自然光があり、そこに共通点もある。

逆に人工の光、例えば、蛍光灯であれば条件はいつでも一緒です。

私の頭の中で、作品づくりの反復で作れるのかどうかという点に論を進めようとしました。

デジタルの再現性、アナログの諧調の豊かさ、それぞれのメリットデメリット。

3人はアートの流れを組みつつも、デジタルの音楽の面白さや不思議さを語り始めました。

打ち込み例えばエドシーランのギターはもう生の楽器とは違う。など面白くそうたいは聞いていました。

YMOなどのテクノはGroove/グルーブなどあえて音楽のうねりを排するものでもあるということでしょうか?

ピコピコ音楽はピコピコ音楽としてゲームミュージックなどでも利用されすっかりその地位を固めてしまいました。

ここでそうたいは今になってこの意味を次のように捉えます。

自由と束縛は必ずしも対義語ではなく、そのどちらかの一部ではないか?

もっとも強く印象に残ったコメントとして冒頭の微熱さんの

(アートに取り組む際に)私は自分を律するルールを求めてる

微熱さんかららもらえた決め台詞からの引用より

という台詞を再び登場させてもらおうかと思います。

基本を破ったり新たな枠組みを創造したり、そもそもアーティストというのは既成概念を打ち破るとか自由を求めるなんていう先入観を私は持っておりました。

ところがです。微熱さんがむしろ自分を縛るようなルールを追求してるという点において(私の解釈が不正確な場合があります。私なりの理解や消化であることの限界をお許しください)

意外というほか以外に言葉は見つかりませんでした。

もしかしたら新たな法則を発見するという意味においてアートは創造するという使命や命題を持ってるのかもしれないと今になら考えることができます。

もともと教養という用語はリベラルアーツというようにアートという用語は手によるものとか手段とかを指してつかう場合もあると聞きます。

必ずしもアートとは美術だけを指す狭い用語とは限らないという理解です。


さて、さて、そうたいも口が滑り始めて3人のトークはあっちへこっちへ滑り始めていくのです。

(微熱さんの以前に触れた記事で絵が漫画になってるということとかの話題をふってみたりもしています。今回はそのトークは割愛いたしました。)

そもそも、自称生活科学者の私そうたいは得意分野がジャズ音楽だったり書道の行書や楷書だったりします。

私の受け持つことのできる議論の範囲も限定的なのです。

とくに生活をシステム的に定義したり構築するという問題意識において、
(書道で何が一番心を動かすのかという論理においても、)

先天的に何が人の感性の心地よくて、何が不愉快にさせるのかは
昔から固定されている
」というKさんの視座はとっても私にとって大変に刺激に富むものでした。

さて、私は専門がごみとリサイクルだったり家事労働論とか現代生活論とかの人でかつ書道の追求を同時に行う人です。

家事労働の法則といえば例えば男女の非対称性の歴史があったりとか、無賃金労働になりやすいとかジェンダーの性別役割分業の議論とか膨らんでいくものです。

しかし、そのような私の得意分野と書道との結びつきは一旦保留なのでした。でも一人になって考える際は貴重なヒントをもらったような気分なんですね。

新しい法則の発見ということは同時に既成概念をぶち壊すということ

社会学はそこらへんは定義としては常識破壊ゲームとでも呼び変えることもできるのかもしれないですね。

アート思考、アート嗜好など言い方は多面的です。(わざとらしく同音異義語を並べています)

両面的で片方を意識するとさらにその反面も意識せざるえない一種の弁証法的アプローチを今になると私なら頭で浮かべられます。


3人での会話を進めるのもあんなふうにお話もできたとか?こんな話題だったらもっと会話がふくらませることも可能だったのではないか?
といろんな一人になって反省する点の多さに逃げる術がなかったのでした。

喧々諤々な議論とは最終的には「ネバーエンディングストーリー」

最後にはデジタルとアナログの作品との違いを理解に対する抽象度を上げるような流れと作品の批評まで話が広がりました。

アナログは再現性がなく、デジタルは再現性に強い。

絵も書道も音楽も同じ演奏、作品、デモンストレーションは不可能だなどアナログの要素は強いです。

一方でデジタル化によって私達はその作品にまるでカンタンにアクセスできる便利な時代を生きてさえもいるんですよね。

神は細部に宿りたまふ

作品における差異とはなんだろうとか?私ならさらに議論を深めたかったのかもしれません。
時間の都合で話題はここらへんでおわりましたが時間が許す限りは限りなくもずっとお話をしていたかったです。

私のようなアートに疎いキャラを受け入れて楽しい時間をくださった微熱お姉さん、並びに頭文字Kさん(仮名)お二方に、心よりお礼を申し上げます。

いつかまたこのような気ままで楽しい談話が再びまたできる日を心待ちにしております。

私の今の覚めやらぬ興奮と頭の中

私なら微熱さんが

仮にLINEのオープンチャットを主催したらどんなオーディエンスがいろんなお話をするのか?とか脳内で仮にも考えたりします。

過去において、実際の過去の活動の中には、

微熱さんによる、美術をテーマにしたラジオやインスタライブなどの以前にはみんなで一緒に創作活動をしようという試みもありましたね。

いずれにせよ、

微熱さんの一ファンとして今後の微熱さんの方向性を追いたいなぁと熱意熱情をもって追いかけたいです。

以上で記事は終わりまして。

そうたいの熱い気持ちがみなさんにもシェアできたら望外の喜びなのであります。

私の実力不足や消化不良で微熱さんの魅力を十分に伝えきれなかったかもしれません。

(そこは丁重に深くお詫びするとして。)

一ファンの微熱さんへのアプローチのサンプルとしてここに情報の一部をドキュメンタリーみたいに残せたらという試みなのでした。

いかがだったでしょうか?届けこの思い。想い重い。思い思いの数々をこの創作記事に託したいと存じます。

おあとがよろしいようで。

(了)


#夏の1コマ

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