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短編小説

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#超短編小説

【短編小説】はしる

【短編小説】はしる

走るのが苦手だと言う人は多いが、私は大好きだ。小学生の頃、ヒエラルキーの上の方には足の速いやつがいた。つまり私だ。それが中学校高校と上がるごとに、どんどんとそのランクは下がっていき、頭の良いやつ、顔の良い人が、結局最終的には山頂に立っていた。旗を持っていたはずの右手は、いつのまにか空を握っていた。
私は見上げるしかない人生に落ち着いた。

足が速い事は良いことではある。別に普通に褒められるし、うら

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【短編小説】夜のあお

【短編小説】夜のあお

最近息子が、夜空に浮かぶ星を「人」だと思っていたことが判明した。

「あーお、あーお」

最近やっと立ち上がることを覚えた一人息子と、夫と、よく夜に散歩する。そんな時に息子が、よく空を見上げて言っている言葉だった。

「ねえ、もしかして蒼って言ってる?」

はじめに気が付いたのは夫だった。

夫が発した言葉に最初困惑したけれど、すぐに『夫の弟』のことだと分かって首肯する。息子のぷにぷにした息遣いが

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【短編小説】散々だちくしょう

【短編小説】散々だちくしょう

3年日記を持っている。
同じ日付の中に3つ書き込めるエリアがあり、どんどん書き進めていくと2年前、3年前になにをしていたかがすぐにわかる日記だ。3年前の今日に、今まで日記なんて書いたことがなかったのに買ってみたのだった。

多分、恋人と付き合い始めたばかりでいろいろ思い出を残したかったのかもしれない。さらに言うと、デート中に購入したので、『ていねいな女』とか思われたかったのかもしれない。

案の定

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【短編小説】おーしまい

【短編小説】おーしまい

「さな、死んだんだよ」

写真におさめたら白く光って色が飛んでしまいそうな空が、窓にうつっている。

カウンターの席しかない牧歌的な喫茶店に似合わない言葉だったので、私はまず、聞き間違えた、と思った。口を開いていた光代のほうを眺め直した。思ったよりも深刻な表情に確信して、身体が固まった。

「え」

「去年。事故で」

ひとつひとつ駒を置くみたいに、そっけなく光代が教えてくれた。

「知らなかった

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【短編小説】桜の降る昼は

【短編小説】桜の降る昼は

先週まであんなに満開だった桜は、もうかなり葉桜に変わってしまった。桜並木だった公園の一角は、夏に向かって準備しているように、太陽をさんさんと浴びていた。天気も良くて、正直暑い。桜の花びらの絨毯がそこかしこにあるけど、体が春と夏の間で困惑している。

声が聞こえたので目を向けると、花見をしそびれてしまった人たちが写真撮影をしている。かくいう自分も、そこに混ざりたいくらいだった。仕事が忙しくて、この公

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【短編小説】ポニーテールを眺めるだけの夜があったっていいのに

【短編小説】ポニーテールを眺めるだけの夜があったっていいのに

頭のてっぺんに近いあたりで髪を結んでいる、華奢な体が目に入った。ポッキーみたいな足がショートパンツから生えている。

体の線とは裏腹に快活そうに、少女は親らしき男性と喋りながらアイスを選んでいた。羨ましいとまでは思わなかったけど、選べば誰かが買ってくれるのってすごいことだよな、と改めて感じる。

少女はこっちの視線にも気が付かず、一瞥もされなかった。父親(多分)との距離が近く、仲の良さそうな雰囲気

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【短編小説】知らない私を私は知らない

【短編小説】知らない私を私は知らない

1Kの間取りの部屋は、1人で暮らすぶんにはちょうどいい。孤独や不安を抱えている今の自分にはありがたい大きさだった。

明日は遅刻しないように、壁に着ていく服を、ハンガーにかけていた。本当は私服でいい会社だけど、入社式があるからスーツを用意している。その服をベッドの上で、三角座りして眺めている。

さっきまで、つい数週間前まで実家の自分の家で観ていた、推しているVtuberの投稿動画を眺めていた。そ

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【短編小説】にじむ空

【短編小説】にじむ空

センチメンタルが襲ってくるから年度末は嫌いだ。

好きな人だけが課から居なくなって、嫌いな人だけが課に残ってしまった日の帰路、寄り道したくて知らない道路をうろうろしている。

あと一週間後の四月の自分が想像できなくて嫌になる。

落とし穴でもあって、気がついたらその穴に落ちてくれたらいいのに。

そう思いながら、にじんだ空を仰いだ。

おわり

【短編小説】この世に無駄な事なんてない

【短編小説】この世に無駄な事なんてない

ラジオを聴いていると、「この世に無駄なことはない!」と聞こえてきた。

それを実感するためには自分の足で歩いていくしかないということを知っている僕は、心から絶望する。

希望のある言葉が嫌いだ。

目の前に、人参のように光をちらつかせて、いざ手を伸ばしたら、どうせすぐに消えてしまう。

誰も担保してくれないから、だから僕は、奈落で探している気分になるんだ。

誰か教えて欲しい。

この屹立する現実

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【短編小説】誰も知らない話

【短編小説】誰も知らない話

気になっている人がいた。

手でまるめてぎゅうぎゅうになったみたいな会社の雰囲気の中で、その人は一人だけ浮いていた。

自分は中途採用で入ったから余計に社内を俯瞰で見る事が多かった。
離婚して親権も奪われて、婿養子だった自分は家族経営だった会社からも追い出されてかなり苦しい生活を送っていた。
そんなぐしゃぐしゃになっていた自分を拾ってくれたこの会社には心から感謝している。

でもやっぱり、昼休憩の

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【短編小説】自販機

【短編小説】自販機

帰路につくとき、いつも自販機の前を通る。

そこには誰もいなくて、僕は少しだけほっとする。

暗闇の中で光るその無機質さが、僕にとってはありがたかった。

いつも一本コーヒーを買う。

ある日、そこに人がいた。

ただそれだけで、なんとなく裏切られた気持ちになってしまう。

上京して一人で生きていた僕にだけ、寄り添ってくれていると思っていた自販機。

一日一本しか買わないくせに、偉そうに裏切られた

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【短編小説】あなたの為にやっているのです

【短編小説】あなたの為にやっているのです

そう聞こえたので、思わずふふっと声を出して笑ってしまった。

中途半端に人がいて、ちょうど駅に停車していた車両の中で、私は一気に人の視線を浴びた。

気まずくなって立ち上がる。

ドアの向こうがわ、駅のホームにあと一秒でつくところだったのに、1人だけ喋っていたおばさんに腕を掴まれてしまった。

「なにがおかしいの?」

そのおばさんは、目が静かにくぼんでいた。眉毛はキリッとしている。こんなアスキー

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