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【短編小説】あなたの為にやっているのです
そう聞こえたので、思わずふふっと声を出して笑ってしまった。
中途半端に人がいて、ちょうど駅に停車していた車両の中で、私は一気に人の視線を浴びた。
気まずくなって立ち上がる。
ドアの向こうがわ、駅のホームにあと一秒でつくところだったのに、1人だけ喋っていたおばさんに腕を掴まれてしまった。
「なにがおかしいの?」
そのおばさんは、目が静かにくぼんでいた。眉毛はキリッとしている。こんなアスキーアートあった気がする、と思い出しそうになり、また笑いをこらえた。
「だから、なにがおかしいの」
掴まれた腕が痛いのでふとカメラでも撮ってやろうかと思ったけど、おばさんの隣で、おばさんの話を的みたいになって聞いていた少年があまりにも顔面蒼白で床を見つめていたので、そんな気は失せた。
面倒なのでいや、笑ってないです。と応えると、おばさんがそんなわけない!いま笑った!それが気まずいから電車から降りようとしたんでしょう、と詰め寄ってくる。
変に鋭いババアだ。
なんだかもう面倒になってしまって、おばさんをまっすぐ眺めてみた。
眺めただけのつもりだったけど、おばさんにとっては煽られているように見えたらしくて、また、なによその目は、と怒鳴られた。
「あなたの為にやっているのです」
私がおばさんに向けてそう喋ると、おばさんははあ?と、煽り返すように口をまあるく開いた。
5分前のおばさんの台詞を反芻しただけだ。
塾にいくのも良い学校に行くのも、ぜんぶあなたの為なんだからね。そのために身を粉にして働いているんだからね…
少年へのおばさんの語り口は、とても気持ち悪かった。
だから笑った。嫌すぎて。昔の自分の親に、瓜二つだったから。
「そんなもの存在しないですよ」
その言葉を合図にしたみたいに、電車のドアが閉まる。
結局だれがそう言ったのか分からないまま、何事もないみたいに、電車が動き出す。
おわり