20210302 通院メモ 自分の中の根本的な感情は「恐怖」ということに気付く
今日は、先週の水曜日に引き続き、ストレスサイン表の作成。
これを作成し始めてから4回目になるはず。
まずは、2月の振り返りから埋めていく作業。
毎日のモニタリングの中から出てくる、軽躁、混合状態、鬱のサインを落とし込む。
次にしたのが、ストレス反応や注意サインから。
身体の状況や毎日の変化の中で見えてくるものを落とし込んでいった。
3回目が、コーピングという視点から埋めていく作業。
精神的につらい状況に遭遇したときに、どうやって考えてどんな風に行動するのか、そのパターンから見えるものを落とし込んでいった。
そして、今日の4回目は、ソーシャルサポートという観点から。
ソーシャルサポートというのは、自分を中心とした人間関係の中でサポートをしてくれる人、サポートをしてほしいなぁと望んでいる人が誰なのか、どんなサポートをしてくれるのか、自分にとって必要なサポートとはどんなものなのかということから見えてくるものを落とし込む。
そこで、まず気付いたのは、なかなか人に相談することができない。
混合状態がそこに既に存在している。
自分の中で、何が問題なのかをうまく考えてまとめることができなかったり、何でもかんでも自分の問題と捉えてしまって、問題の振り分けということが絶望的にできない。
だから、どのように相談すれば良いのかがわからないことが多い。
ボーッと生きている感じもしないでもないけれど。
そうすると、相談できる人というのがものすごく少ないことに気付く。
唯一相談できる人は、自分の弱みを見せても決して馬鹿にしないというのがわかっている人。
受け入れてくれる人。
これは、お互いにそういう存在として関係を持ち続けることができている。
妻である。
そうしたことも見えてくる。
また、自分の行動のパターンなども見えて来るようになる。
そこで、あることにふと気付いた。
自分は、ものすごく気分によって行動のパターンが異なることを。
同じ気分であっても、軽躁状態と混合状態や鬱状態では、取る行動も思考も変わってくるということを。
気分によって、衝動的に行動を起こしやすい。
つまり、元々コントロールが利きにくい性質を持っていることに気付く。
しかしながら、一人暮らしをするまでの間は、家族との生活という制限がルーティンとつながることになっていたことで、ADHDの性質や双極性障害の状況が出て来る状態にはならなかった。
ところが、一人暮らしをはじめて、たがが外れ、やりたいように生活をするようになってから、精神のコントロールがつきにくくなっているのに気付く。
おそらく双極性障害の初発は、学生時代なのは間違いない。
そんなことも見えてくる。
そして、そこまでの記憶が広がってきた中で、対人関係や自分の行動の動機は何なんだろう?という思考へと向かっていったときに、はたと気がついた。
「恐怖」なんだ。
自己肯定感は元々とても低い。
軽躁状態の時、恐怖を感じるとその恐怖を乗り越えるために、新しいことに取り組もうとしたり、環境を変えてみたりということをする。
スケジュールを詰め込んだり、とにかく勉強会やセミナーに参加しまくったり。
自分を変えて、新しい能力を身につけることができたら、この恐怖から逃れられるのではないか。
そんな自動思考も見えてくる。
とにかく、自分が足りない状態だからたくさん学ばないと行けない、たくさん学んで知っていることが増えれば、きっと失敗は減るだろう。
そんな思考で、行動が左右されていく。
これが、鬱状態の時は、ひたすら引きこもるような方向へと向かう。
どこにも出かけたくない。
誰とも会いたくない。
ただひたすら寝たい。
自分など消えてしまった方が良いに違いない。
自分がいなくとも、世の中は何も変わらずに時は流れていく。
そういう思考になる。
対人関係を保ちにくいのも、人とよりよい関係を維持するということができにくいのも、自分の双極性の性質から来る自己嫌悪がとても大きい。
人に好かれたいという欲求もある。承認欲求ももちろんある。
だからこそ、失敗が怖い。
人に嫌なことを言ってしまわないだろうかという恐怖が出てくる。
人の気分を害さないだろうか?
そんなことが、常に心のどこかにあり続ける。
常に自分を責めることにもつながりやすい。
躁の時は、「自分はこれだけ勉強しているのになぜ勉強しないんだ?」とか、「こんなことも知らないのか」というように、人を見下すような思考も出てきやすい。
もう、ここまでくれば問題はゴチャゴチャに混線している。
自分のこの「恐怖」という感情は、解放することができるのだろうか?