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アランの即興思考から考える、書き続ける意味
ネタがないときはとりあえず書き始め、のちの展開を思うがままに進めることが多い。
今日は、それでいいんだと知り、勇気をもらった。
きっかけは、図書館で借りたアランの『幸福論』を読んだことだ。
まだ訳者である神谷幹夫の解説しか読んでいないが、そこにはこう書かれている。
アランはものに即してしか考えない。アランの思惟は即興である。
そう、即興なのだ。そして、それらはモチベーションに関わらず、毎日2時間で一気に書き上げられた「プロポ」(紙葉1枚に2ページにわたる断章)だ。
そのため、タイトルは幸福「論」とされているが、内容は2ページずつのエッセイがつづられているだけだ。訳者もタイトルが『幸福論』となっているのは、日本でこの名が定着しているためであると述べている。
よくアランの『幸福論』が引用された文章を見るが、その構成がプロポであることに触れているものは読んだことがない。
さらには、「情報は一次情報にあたれ」と言うが、本も同じ。実際に原著(翻訳であっても)に触れないと見えてこないことや、省略されている部分があることに気づかされる。
この本には93編のプロポがある。つまり、制作にかけた時間は186時間ほど。つまり約1週間で、100年近く読まれ続ける文章を書き上げたことになる。
そう考えると、毎日30分でも書き続けることの意義を感じる。