サマセット・モーム著『人間の絆』を読んで
上下巻合わせて1,200ページを超える大作をやっと読み終えた。しかし、残念ながらこの小説を面白いと感じることが、私には最後までほとんど全くできなかった。
主人公のフィリップをはじめ、どの登場人物にも、人間としての魅力や親しみを感じることができなかった。
モームを知ったきっかけは『月と六ペンス』だった。特別な才能と強烈な個性を備えた画家チャールズ・ストリックランド、様々の意味で規格外の人物を描いたこの物語には、私の心を強く刺激するものがあった。そして、同じ作者の随筆『サミング・アップ』を読んだ。その中で、本作がモームにとって、いわば自身が生きてゆけるためにどうしても書かなければならなかった作品であることを知り、大いに興味を持った。
モームはこの本を世に問うことによって、「過去の苦悩やつらい思い出から永久に解放された」と述べているが、私が強く期待していたものは、私自身の苦しみを和らげてくれるものは、この本の中には見つからなかった。
本作は自伝的小説であり、作中で主人公フィリップが経験する様々な感情は基本的にモーム自身のものであることが、作者による序文で明らかにされている。
私がこの作品を楽しむことができなかったのは、結局、モームと私が、抱えて来た苦しみの種類が異なることを含め、人間として根本的に大きく隔たっているからなのだと思う。
長い物語の最後、フィリップはそれまで人生に対して抱き続けて来た憧れ、夢、志を根底から覆すことになるほどの心境の変化を経験し、ある一つの大きな選択をする。作者はこの結末を明らかに肯定的な筆致で描き、苦悩にまみれたこの小説を前向きに締めくくっている。
この小説を好きになれる人は恐らく、この結末を歓迎し、フィリップが最後に辿り着いた感情と行動に自然と共感することができるのだろう。そして、本書がモームの代表作の一つとされ、時代を超えて読み続けられていることからして、そのような人はきっと数多くいるのだろう。
この物語をこのような形で終わらせたモーム、そして本書を心地良く読み終えることができた多くの人々、そうした幸福な人々の仲間に自分はなれないということを、さびしく自覚する。
私はこの作品を、良いとも悪いとも思わない。元々作者が自分を癒すために書いた小説なのだから、それについて他者が論評すべき性質のものでは本来ないようにも思う。
ただ、この物語の結末もその具象となっているような、多くの人々が当たり前に受け入れ、正しいと信じているような思想にどうしてもなじめないことが、今日の社会においても支配的であり、健全なものとされている価値観を良いものと感じることがどうしてもできないことが、ずっと、とても、苦しい。