曽我二十六

Web小説家・YouTuber・Wikipedianの曽我二十六と申します。 名前の由来は、好きな数101が26番目の素数である事と、26が唯一の平方数と立法数に囲まれた数である事などです。

曽我二十六

Web小説家・YouTuber・Wikipedianの曽我二十六と申します。 名前の由来は、好きな数101が26番目の素数である事と、26が唯一の平方数と立法数に囲まれた数である事などです。

最近の記事

BBCは何が言いたいんだ!?

2024/9/1、BBCの以下の動画を視聴した。 BBC「日本の自民党はなぜ選挙に勝ち続けるのか」、2021年10月29日 https://www.bbc.com/japanese/video-59086369 反論及び指摘が3点ある。 第1点目: 農山漁村は取るに足らない?  これに続く部分を含め、「農山漁村は取るに足らない」「農山漁村には税金を投入すべきでない」という誤謬に基づく意見でしかない。「頭数が多い所に単に税金を配分する」というのが政治ではない。仮にこれを認

    • メモ:存在論関係

      ブルアカ1章chap2を終えた頃、そういえばだけども、と思い付いた事のメモ。 ヒトを含め生物、或いは自己増殖体、いいや、物質やこの世界自体と言って差し支えないかもしれない、そういったものは一体何の為にあるんだろうねぇと。 「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか (D'où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?) 」或いは「何故何も無いのではなく、何かがあるのか (Why is there some

      • 2024/07/10 ガリレイ・サークル 不定期定例会メモ

        「主観的時間論」と「客観的(?)時間論」 そもそも時間概念は「主観的時間」と「客観的(?)時間」とで分ける必要があるのではないか。 「主観的時間」における過去と未来 「主観的時間」においては、過去と未来は次のように定義される。 過去: 主観者の記憶・知識・知覚により類推される経路。既知と見做される。 未来: 流転変化の方向、エントロピーの増大方向、不可逆な進行方向、先後関係における「後」。未知と見做される。(※1) 「客観的(?)時間」における過去と未来 過去: 流転変化

        • 罪己詔

          昨今では単純作業が機械代替化された――いわゆるOA化が完全に進んでしまった――事により、創造性が求められるように、言わば「何とか出来る人間」が何につけても重用されるようになってもう久しい。 しかし、これは本当に幸福な世と言えるのだろうか。 少なくとも視界に入る同世代では一番の「何とか出来る人間」である自信を持つ私の口から言わせれば、それは恐らく否である。 ○ ○ ○ 「何とか出来る人間」に近付けば近付く程、能力の代わりに、普通の人間が持つような感情を喪失していくような

          最近Minecraftで作ってる町の歴史でも投げてみようかしら あと蔵書紹介をば。

          最近Minecraftで作ってる町の歴史でも投げてみようかしら あと蔵書紹介をば。

          YouTube再開しようかしら

          YouTube再開しようかしら

          某文芸サークルの民に対して

          要約すると ①組織自体や全員に恨み辛みがあるといった訳では決してありません ②或る人間の非協力と不見識とに辟易致しました ③あと外部環境 (平たく言えば外敵) の問題  以上の3点を持ちまして、私は某文芸サークルとの関係を遮断したいと思います。 ①-1. 経緯説明: 事件発生  あまり存じ上げない方も居られようと思うので、順を追って説明すると、1月下旬に某M氏が「新代表者の出席が必須な会合」を無断欠席。  更にその後 (2月上旬) 、某H氏が「出席の必須な新歓説明会」を

          某文芸サークルの民に対して

          末末騒動 (星1騒動+配信トラブル)の状況整理

          ①天野さんの配信枠でガイドラインに繰り返し抵触、天野さんが和解を試みた所「ネトスト」と逆上  2024/02/04、天野さんの配信枠にて、末末氏は"再三の"注意を無視して下ネタを投下。  末末氏は「下ネタなんて言ってない (※現在は削除済, [下記1]) 」とTwtter上で反論したが、ちゃんと配信内に証拠が残っている。(下記リンク参照)  その後、末末氏側がブロ解したのを、天野さんが温情で再フォロー(※1)した所「ネトスト」と激怒。  当該部分は配信の1:41:40

          末末騒動 (星1騒動+配信トラブル)の状況整理

          喧嘩を吹っ掛けてきた某後輩氏に対して

           親愛なるM氏、御元気でしょうか。  こちらは元気です。  某後輩 (以下Mと呼称する) 氏は、2023年第4四半期から2024年第1四半期に掛けて、複数回に亘り、無礼千万にして失礼極まりない対応を取ってきた。私は基本的に無礼講スタイルなので、「先輩だから○○しなきゃ」とかいう礼儀作法の類は寧ろ嫌いな方なのだが、仮に同輩或いは〔私の方が〕後輩だったとしても、あまりに失礼であろうといった対応を複数回受けた事に対し、対応を取らないというのは私の面子・沽券に関わる事なので、その売

          喧嘩を吹っ掛けてきた某後輩氏に対して

          うちの家の伝記でも書いたろかな (とか思ったけど江戸時代以降を書いちゃうと高確率で身バレするので書けない。「江戸時代なんて最近」とか、京都人と時間間隔が"或る意味"一緒)

          うちの家の伝記でも書いたろかな (とか思ったけど江戸時代以降を書いちゃうと高確率で身バレするので書けない。「江戸時代なんて最近」とか、京都人と時間間隔が"或る意味"一緒)

          我こそは中華初代皇帝の子孫なり――誰が「絶家」だ

           周知の通り(?)、我が筆名「曽我二十六」は、「素が26 (=26番目の素数=101)」や「平方数と立方数に挟まれた唯一の数字(26)」の掛け合わせだというのが「表向きの」筆名の由来である。    実は「曽我」の部分についてこの説明は後付けに過ぎない、という告白をコッソリ置いておく。「コメダねこ」や「カレーねこ」ではいけないのである。    この名は、13代の間、3度の婿養子を経て命脈を保ってきた、由緒ある名なのである。私は曽我の名を絶家とする気はない。伝説上は黄帝・秦始皇帝

          我こそは中華初代皇帝の子孫なり――誰が「絶家」だ

          我が友李徴子の独善的断罪に対する反論

           我が友李徴子は、「お前はファシ的思考回路である」と言って断罪文をインターネッツの世界に上げやがったので、その反論文を掲載する。    まず、いの一番に行うべきは「用いる言葉の定義確認」である。  他人に「ファシスト」というレッテルを貼るからには、その定義を確認せねばなるまい。  Wikipediaからの引用で申し訳ないが、本来的な「ファシズム」の意味は、ムッソリーニの提起した「結束主義」的な意味合いである。これが転用され、全体主義や軍国主義、或いは言論封殺といった意味合いに

          我が友李徴子の独善的断罪に対する反論

          恋愛論的何か: 恋愛結婚の自由と責任 etc…

          誰が言ったか「自由には責任を伴う」という言葉がある。この言葉はフロイトの以下の言葉の引用を改変したものだとされる。個人的にはこの説が間違いな気もするのだが、一応紹介しておく。 似た表現として、バーナード・ショーはこう言っている。 両方ともインターネットから拾ってきたものなので、「自由には責任が伴う」という表現のネタ元かどうかは分からない。 さて、漸く本題に入るが、現代社会には「恋愛結婚の自由」というものが、まるで自由という名の束縛の如く、横たわっている。恋愛結婚するに当

          恋愛論的何か: 恋愛結婚の自由と責任 etc…

          月ノみんと氏の謝罪文に関して思う所

          月ノみんと氏の謝罪文について、引っ掛かった点がある。 謝罪は(少なくとも日本においては"とても")大切であるし、謝罪自体に疑義を呈するものではない。謝罪文について、「これはおかしいだろう」と思った点がある。今回はそれについての指摘である。note初心者なので、読み辛い点などあれば、ご堪忍頂きたい。 念の為に言っておくと、これは彼の言葉を見た「私個人の感想」に過ぎない。尤も、彼はここにある内容とは全然違った考えを持っていて、私の捉え方・解釈が誤っている可能性は十二分に存在す

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