可能なるコモンウェルス〈57〉
「支配と暴政に対する反乱と革命を、人間固有の権利として、一定に制度化すること」を企図したジェファーソンは、まず「所定の期間ごとに憲法を修正することによる、革命過程の正確な再現」を構想する。「過去の」革命過程において、彼自身を含む当の革命世代がその身をもってくぐり抜けてきたさまざまな経験を、その革命の後に新しく生まれてくる世代の人々が、この革命過程の正確な再現を通じ自らのものとして実体験することで、革命と建国の権利はアメリカ全人民に対し制度的に保障されるものとなるだろう。
「…自分の常識を十分承知しており、その心が実践的なことで知られているジェファーソンが、このような反復革命(リカーリング・レヴォリューション)という計画を提起したのは、疑いもなく、彼が大きな難問と現実的な惨禍に直面していたからであるとしか説明しようがない。…」(※1)
そんな「常識的で実践的な人物として知られた」ジェファーソンが、その持論の論拠としていた「『新しい世代はそれぞれ、自分自身の幸福を最もよく促進すると信じられる統治形態を、自分自身のために選択する権利を持つ』という、彼自身としての正当化理由は、しかし実際あまりに幻想的すぎて、真面目に考えることができない」(※2)ものである、というようにアレントは批判するのだった。
仮にそれが「当の新しい世代において、彼ら自身の幸福を最もよく促進すると信じられる統治形態」だったとしても、「ジェファーソン自身が、非共和的な政治形態を樹立する権利を、将来の世代に認めていたとはそもそも考えられない」(※3)のだ。彼自身が望まない統治形態を、「他の者に保障する」などということが、はたして実際ありうるものなのだろうか?アレントはそんな風にして、ジェファーソンの「真意」を量りかねるかのように疑義を呈するのであった。
とはいえ、ジェファーソンが実際考えていたのは、将来の世代の人々が彼ら自身の時代において、彼ら自身の幸福を促進すると信じる統治形態を「思惑通りに選択できる」ような、つまり彼ら自身の「経験的・功利的幸福欲求を充足させるため」に機能するような、そんな目的にもとづいた定期的な憲法変更制度ではなかったというのは、ここであらためて言うまでもないだろう。
ジェファーソンは、実のところ将来の世代をも「この時代=革命と建国の時代」における、「アメリカ共和国の現実の成員」として考えていたのである。すなわち彼は、「将来の世代」がこの革命=アメリカ独立革命に「直接的に」参加できるような制度を模索していたのだ。
そこでジェファーソンが構想した「反復革命(Recurring Revolution)」の、その具体的な内容とは、「『会議に代表を送る権利』を各世代に保障し、全人民の意見が『公正、完全かつ平和的に表明され、論議され、社会の共通の理性で決定される』方法と手段を発見しようというような、いささか厄介な試み」(※4)として成立することとなったわけである。
ここで言う「各世代」というのは、もちろん単なる「老若男女」といったような話ではない。ジェファーソンにとっての「全人民」とは、今目の前にいて現に生きている人々のみならず、「過去・現在・未来にわたって存在する、全ての人々」を対象とするものなのであり、そのような「全人民が直接に討論できる場所」を、彼は「現実に見出そうとしていた」わけである。
それはたしかに「あまりに幻想的すぎて、真面目に考えることができない」ことなのかもしれない。しかしそれでもジェファーソン自身は、「いたって真面目」なのであった。彼としてはとにかく、「この時代の人間が全てを独占する」というような状況をけっして許すまいと考えていたのである。それはまた、将来の人間が各々その時代において「全てを独占することをも許さない」ということでもあるわけだ。要するに、「現に生きている人間が、自分たちに都合のよい世界を作り出し、それを独占すること」に対して、ジェファーソンは常に激しく怒り、それに抵抗しようとしていたのである。
〈つづく〉
◎引用・参照
※1 アレント「革命について」志水速雄訳
※2 アレント「革命について」
※3 アレント「革命について」
※4 アレント「革命について」
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