病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈36〉
パヌルーは、ペストとも何とも判然としないモヤモヤした経緯の中、診察していたリウーにも「理解しきれない」状態のままで死んだ。
その解釈し難い死の様相は、少しも殉教者的なヒロイックさが見られないような、すなわち少しも「抽象的」なところが見受けられないような、きわめて散文的で素っ気ない死に様であった。あたかもパヌルーはその身を供して、「抽象」なる観念を葬り去ったかのようである。これはリウーにとっても衝撃だったのではなかっただろうか。
ところで、はたしてパヌルーの死というものは、彼自身の「望み通り」になったと言えるのだろうか。それもやはり実際にこうなってしまった後では、たしかに「判然としない」ものとして終わることにならざるをえなっただろう。
言うまでもなくパヌルーは、「たとえペストにかかったとしても、きっと神さまが治してくれることだろう」などと思っていたわけではもちろんなかった。むしろ「これで自分は間違いなく死ぬだろう、しかしだからこそそれでよいのだ」とさえ彼は思っていたはずだ。これは「神の御手によって」なかったことにされるべき性格のものではない、しかしだからこそ意味があるのだ、とでもいうように。
逆にリウーが宗教に対して考えているように、「神を信じるがゆえに、たとえ病気になったとしても、その全ての行く末を神に委ねきっているような人」が本当にいたとして、もしそのように神を信じ、そしてそのまま死んでしまうのだとしたら、結局のところ神はその信心深い病人にとって、「何の役にも立っていなかった」ことになるだろう。そのように、己れの望むものが神から得られなかった彼は、ゆえにまさしく当てが外れたことになるだろう。
しかし「信じる」ということは、「役に立つ」ということには全く何の関係もないのだ。もし神が存在するというのなら、結局のところその存在が人間の役に立つか立たないかに関係なく、ただ「自らの自由において、自ら存在している」だけのことなのである。そしてもし、それを信じるというのなら、そんな神でさえ人は信じるのだ。
役に立たないものを信じるというのは、現実主義の、もっと言えば実効性第一主義のリウーからすれば、まさに信じ難いことなのかもしれない。しかし逆に言えば、それこそがまさに「不条理」と言うべきことなのではないか。「不条理ゆえに我信ず」、そのようなことをパヌルーはまさしくその身をもって示したと言えるのではないだろうか。
一方パヌルーはパヌルーで、自身がペストに罹患することによって、「自然死の現実」を「自己抹殺の理念」の方に引き寄せ得たのだと、自分ではそう思えたのかもしれないが、しかし実際にそれで死んでしまえば、もはやそのことを自己において確認することは全く不可能なこととなるのである。そこにはただ、自分自身の「自然死の事実」が残るだけにすぎない。そのように、答えを確かめようのない問いというものもやはりまた、不条理なことなのである。
自らの死においてパヌルーの望みが叶えられたかどうかは、たしかに疑わしいところである。
ところで、これはまだ後の話になるが、オランにおけるペストの終息というのもまた、それがはたして医学の成果であったのかどうか、実のところやはり「何とも疑わしい状態」で突然訪れた結末なのであった。その意味でオランを襲ったペスト禍は、医学や科学とも、あるいは信仰や迷信とも何の関係もなく、いつの間にか勝手にやってきて、そしていつの間にか勝手に過ぎ去っていったものにすぎないかのように、当のオランの人々には思えたのではなかっただろうか。
しかし、それがもし戦争や抑圧であったならば、もちろんそういうわけにはいかないのだ。それらは、勝手に人間の元から去って行ってくれはしないのである。人間が始めたことは、やはり人間の手によって終わらせなければならない。だからこのような意味においても、病禍と戦争を同一に見るべきではない、ということになるのだ。
〈つづく〉