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「寂聴 あおぞら説法Ⅱ」 瀬戸内寂聴
「人間はなぜ生きているのかと子どもに聞かれたら、人を喜ばせるために生きているんだよ、と教えてください。」
「寂聴 あおぞら説法Ⅱ」 瀬戸内寂聴
「寂聴 あおぞら説法」の第2弾
寂聴さんが、51歳で出家されて岩手県の天台寺の住職になり、「寺の復興とは何をすればよいか?」を考えつづけ、「一番大切なことはお寺に一人でも多く参詣者に詣ってもらうことだ」とはじめた「あおぞら説法」。
この本は前回と同じように、すべてが話し言葉で書かれていて、寂聴さんが目の前でお話しされているように思えます。
その中で、何度か出てくるお話がありました。
それが「教育」のこと。
今の世の中テレビや新聞を見ると、日々嫌なことが起こっていて、気が滅入っている方も多くいらっしゃるでしょう。
こういう恐ろしいことが起こることも、「ちゃんとした原因がある」と寂聴さんは語っています。
その原因は何かと言いますと、太平洋戦争後に占領国のアメリカに、それまで長い歴史のなかで培ってきた日本のいいもの、いい習慣をすべてなくされたことです。
それがいちばん顕著にあらわれたのが教育でした。
想像を超えた「事件や事故」、「恐ろしい出来事」が起こるのはどうしてなのか?
それを防ぐことはできないものか?
原因はどこにあるのか?
寂聴さんは、きっぱりと語ります。そのことが、この本でいちばん共感したことでもありました。
寂聴さんは、聴衆にこう語るのです。
この原因は、今までに何度も申しましたように、戦後の日本の教育が悪いのです。教育は知識を詰め込むのではなくて、知恵を教えなければいけません。
知恵とは、生きていくうえで、いろいろな立場に立って、どうすればいいのかを判断する能力のことです。
(中略)
ところが戦後、特に最近は、その人間の普通の心が失われ、とかく自分さえよければいい。自分の欲望さえ満たせばいいという利己主義になってしまいました。
(中略)
これを改めるには、教育しかないのです。
人間の欲望は、尽きるものではありません。
欲望は満たせば満たすほど、さらに大きな欲望となって自分を追い込みます。苦しみとなって返ってくるのです。
これには「教育」や「躾」が大切だと、寂聴さんは法話の中で何度も語っているのです。
人間は誰にだって、欲望があります。
自分だけが欲望を満たすのではなく、このように考えると、生きている上での充実感、心を満たすこと。すなわち、「幸せになるのではないか?」と感じた寂聴さんの言葉が
人間は死ぬんです。
今日、ここでワッハハハハと笑っていらっしゃる、元気いっぱいの皆さんも、やがて死ぬんです。それを覚悟してください。
ですから、どうせ死ぬのなら生きている間に、ひとつでもふたつでも人を喜ばせてください。人に優しくしてください。それが愛です。
人間はなぜ生きているのかと子どもに聞かれたら、人を喜ばせるために生きているんだよ、と教えてください。
お金持ちになるためでも、偉い人になるためでもありません。
人を喜ばせるために、人の悲しみを自分のことのように思いやることができる優しい心を持つために、この世に生まれてきたのだよということを、教えてください。これが躾の根本です。
私たちが、神様から与えられた力があります。
それは
自分を幸せにする力ではなく、人を幸せにする力なんですね。
以前、ひすいこたろうさんの本でご紹介した質問です。
あなたなら、どちらが嬉しいでしょうか?
自分で花屋で買った花束と、誰かからプレゼントされた花束、どっちがうれしいですか?
自分で自分にバラを買ったり、自分で自分にやさしい言葉をかけたりしてもあまり心には響きません。
しかし人からもらった気持ちやプレゼントは心にガツンと響きます。
また、やなせたかしさんはこう語りました。
人を喜ばせることがいちばん楽しいことだということが、年を取るごとにだんだんわかってきました。
だから「人生は喜ばせごっこ」なのです。
僕たちが生きているのは、人を喜ばせるためなのです。どんな人も、誰かが喜ぶ顔を見ているのがいちばんうれしいのです。
人を幸せにすることは、自分を幸せにすること。寂聴さんは、人をかんたんに幸せにする方法があるといいます。
それが
和顔施(わがんせ)
笑顔の人がいると、まわりの人の心はホッとしますよね?人の気持ちを優しくするもんです。これを和顔施(わがんせ)といいます。
私たちは、みんな苦しみを持っています。それに耐えて生きているのです。そういうことを思いやって、どなたにも、優しくしてください。
そして、どなたを見ても、にっこりとしてください、これを仏教では「顔施(がんせ)」、あるいは「和顔施(わがんせ)」といいます。
笑顔を、優しい顔を人に施すということです。
和顔施(わがんせ)で人を幸せにできます。
人生は、「喜ばせごっこ」なのです。
そうすると
つぎに
あなたを幸せにしてくれます!
【出典】
「寂聴 あおぞら説法Ⅱ」 瀬戸内寂聴 光文社