「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」 三宅香帆
「自分から遠く離れた文脈に触れること ━ それが読書なのである。」
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」三宅香帆
確かに働いていると、自由に使える時間が少ないと感じます。
仕事から家に帰ってきて食事をして、お風呂に入って、そうこうしている内に壁に掛かっている時計を見上げると「えっ!もうこんな時間!?」ってなります。
とくにこの1年は仕事が忙しかったので、本を読む時間が極端に少なくなりました。
それでも10分だけでいいからと、寝る前の少しの時間本を読みました。
そうすることで不安の緩和を図り、気分を落ち着かせました。
「明日仕事がなかったら、もっと本が読めるのに!!!」
何度そう思ったことでしょう。
この本の著者・三宅香帆さんも同じような思いを冒頭で述べています。
そこから、こんな疑問が生じます。
さらに
働いていて本が読めなくなっている状況から、私たちの文化(文化的生活)が労働に搾取されているという問題を、三宅さんは冒頭ものすごい熱量で書いています。
そして
労働と読書の関係を、本書で紐解いてゆくのです。
とても緻密な分析がなされていまして、
興味深く読ませていただきました。
しかしながら
本書を読んでいて感心したのはそこではありません。心に刺さったのは後半部分。
「半身社会」を目指すということ。
三宅さんの提唱しているのが「半身で働く社会」つまり働いていても本が読める社会なんですね。
本が読めない社会とは
三宅さんはこう語っています。
1冊の本には自分が知りたい情報以外にも偶然性が含まれます 。つまり読み手が予想しない、あるいは予想できない知識や情報が飛び込んできます。
新しい文脈を取り入れる余裕のある社会。
それが働いていても本が読める社会なんですね。
そして
三宅さんの魂が叫んでいるこの言葉が、
泣きたいくらい心に突き刺さりました。
【出典】
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」三宅香帆 集英社新書