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いつかの熱帯夜に思ったこと 結局、暑すぎるとニンゲンおかしくなるよ、と伝えたいのだろうか。 テレビのニュースの話だ。 今日の夜、テレビのニュースを見ていて、プールの授業に数人生徒が遅刻したから、連帯責任でクラス全員プールサイドを走らされ、水ぶくれが出来て大問題!みたいな話があった。 はぁ? なぜそんなことになる? 暑い中、入ったら気持ちよさそうなプールを横目に、熱々のプールサイドを走らされる。 それで子どもたちは何を学ぶのか? シンデレラの最後、継母が熱々の
5月末から6月にかけて、本当にしんどかった。水無月食べたけれど、やっぱりしんどかった。 からだのだるさや、靴を買い換えてデカすぎて、やたらつまづいたこと、座ると寝てしまうこと。ほか、夫や子どもが立てる音‥抱えて持ってきた山盛りの洗濯もの入りカゴを床にダーンと置く音、何十個のレゴやミニカーを混ぜるようにガチャガチャする音、流しに皿を入れる時割れたかのようながちゃん!という音‥が耳について、見てるテレビの音は聞こえなくてイライラすること。 夫がよく言う、「機嫌が悪いのでなく
先日、15年ぶりに、大学の時の友達に会った。皆、現役の理学療法士(PT)である。 待ち合わせ場所で出会ってすぐ喋る喋る。飼ってる猫、職場、親のこと。行きの車の中でも、ずっと喋っていた。 街中を抜け、山に入ってすぐ曲がって細い道を車で上がっていくと、その場所はあった。 車を降りて階段を上がると、淡い色の花が咲いた、薔薇のアーチ。それをくぐってさらにいくと、お菓子のお家?みたいな可愛らしい建物と濃い緑のガーデンテラスがあった。 びゅーびゅーに風が吹く中、もう1人の友達は
死んでから伸びた父の身長 先月、父が亡くなった。 早朝に母から電話があって、私は家族を連れ、指定された葬儀場へ向かった。 奥の畳の部屋に、長机とお茶、菓子が置かれ、「食べたら?」と母が勧めてきた。 部屋の端に布団が敷かれ、父が寝ている。その横でどら焼きを食べながら、なんだか不思議な感じだった。到着してすぐ、手を合わせたものの、父はかたく目をつぶり、変色もしていないし、体も小さくない。なんなら、生前最後に会った時より、大きくなった?と思ったぐらいだった。 お葬式前
ズレてない 最近、やっと「その人の今」に対応できるようになってきた気がする。その感覚。 そんなの学校卒業して国家資格取ってるんだから、最初からできてるでしょ? そんな声が聞こえてきそうだが、理学療法士の学校で知るのは、解剖学や体の仕組み、検査法などの、いわゆる「理屈」だ。 観察や計測に基づいた「仮説」を立て、それを改善できそうなプログラムを考えて、相手に伝えて実践してもらう。 そういうもん、だと思ってやってきた。でも、やりながら、どこか、つかみどころのない何か、患
灰谷孝さんの本「人間脳を育てる 動きの発達&原始反射の影響」にハマっている。 小児発達、発達障害の理学療法については、学校で習ったものの、私は、高齢者がほとんどの病院、施設勤めだったこともあり、ケースで関わる機会か殆どなく、また、なんか人の人生を重大に変えてしまいそうで、怖いイメージで近づいてこなかった。けれど、自分の発達障害っぽさや子どももグレーゾーンな感じで、日々子どもの学校や生活で困りごとが出て、連日「言って聞かせてください」と言われたり、電話で頭を下げるとかの対処
分け合うことは、豊かなこと ひもじいのとは、違う。 こどもがおかわりできないなんて、 ひもじい思いをさせるなら、自分はいらないという人がいる その気持ち自体は、尊いのかもしれない でも、そんなふうに与えられても、誰かと分け合う豊かな心は育たない気がする みんなで食べよう 一緒においしいねという。 代わりにもらっても その誰かとはおいしさが共有できない 遠慮、でもなく いじきたない、でもなく ただ、みんなで食べる幸せ 自分の分を差し出して その後死んでしまったら もら
人間のからだも、自然ならば 養老孟司さんの本を読んでいて、「人間だって自然である」というくだりに、へえ?と納得のような違和感のような変な感じがした。 自然だから、って、どういうことだろう。 確かに生き物、地球上の他の生物同様、何かを食べ排泄し群れたり1人になったりしながら、生きている。だが、山とか、オオカミとか、雨晴れの天候とかみたく、野生、こちらのどうにもならないもの、と言うイメージが無かった。 次の瞬間、明日なんてどうなるか分からないし、人工物のように、制御し
思い込みによる逆走・自分と付き合う助走 「shokoさん皮膚薄いから〜。」 フットケアサロンで終わりかけにサラッと言 われた時、それまで眠くてしょぼついていた私の目が、カッと開いた。 皮膚薄い?厚いのではなく? 「かかとがガサガサって、皮膚が分厚いんじゃないんですか?」 「それは角質です。今取りました。」 がーん。 昭和な顔でショックを受けている私に、ケアリストさんはあれ?と驚いている。 皮膚薄いですよ?いってませんでしたっけ。 薄いから、水分入れてもすぐで
障子の埃が目につく歳 ここ数年で、本を読む体力が落ちたように思う。 読みたい本は次々見つけて、ポチリと買ってしまうのだが、中々最後まで読めない。 原因は、結論からいうと、トシだ。 だが、年齢とともに、視力や記憶力、理解力のような知的機能が低下する、といった単純なものでは、無かった。 これが老眼?と思った最初は、明るいリビングで字が滲んで読めなかった時。 それまでは、夕方や夜寝る前の少しの時間でも、本を読んでいた。ベッドサイドテーブルの明かりをつけて、隣の子ども
軽さの正体 職場に新しい職員がくると、必ず介助技術指導をする。 中でも、寝返り起き上がりから座ってもらって、立ち上がり車椅子に移る、あるいは2人の介助で移って頂く場面については、我々理学療法士の役目になっている。 そこで毎回感じるのが、同僚A先生の起き上がり介助の軽さだ。利用者役で私は毎回起こしてもらうが、私の首肩に入った腕も、起き上がりの要の骨盤を押す手も、全くと言って良いほど圧迫感や硬い当たりは、無い。そして、起きようとこちらが動きを合わせる間もなく、ふわりと体は
「こんな時にリハビリなんて‥」 いらんし、と言ってなくても見える。この後アンタ面倒見るの?と目の奥に書いてある。 胸の奥がギュッとなるが、彼女の隣の主任がオロオロ顔で見守っている。 しかたない、笑顔でスルーする。 モヤモヤを抱えつつ、患者さん当人には、何とか笑顔で、じゃあベッドもどろっかー、と声をかける。 何度となく、言われてきた。 看護職や介護職。自分のイメージで喋ってる。自分が仕事中に体調くずされたら。 とりあえず、何もしなきゃ何も起こらない。 家族に電話
たいそうな感じのするタイトルだが、そんな変わったことでは無い。 心配性の母親の願いを、カタカナにしてみただけだ。 あなたがこのビジネスでやる社会的意味は、何ですか? さわらぎ寛子先生のワークシートに取り組んでいて、立ち止まった。 社会的、意味。 最近の企業が、こぞって打ち出しているやつ。 利益追求だけじゃない、社会を意識した何か。 すぐでないってことは‥? 個人的理由で頭一杯の私が浮き彫りになる。 いや、一つ、あるかもしれない。 昨年末、娘のこと
セラピスト29年やってても、欲しいもんは欲しい。 理学療法士(PT)2年目ぐらいになると、何がしか技術習得に走る。気がする。 AKA、PNF、ボバース、ボイタ、筋膜リリース、認知運動療法、IDストレッチ、等々。その時々の流行りもあるが、大体において、自分の「コレがあれば大丈夫」みたいなものが、欲しくなる時期なのだ。 先輩方の、「これをこーして、こーなってるから、あとはコレやったら仕上がる」(患者さんが動作自立に至るまでの、セラピスト側から見た流れ)的な、なんでそん
どこでも住めるとしたら。 季節ごとに、過ごしてみたい街はある。 夏のフィンランド、春の山の麓、夏の鎌倉、秋の京都(冬は雪は見たいけれど、雪国に住みたい気か湧かないので浮かばない)。 でも、住む、となると、そこにいる人々との関わりが含まれてくる。無人島で住むのじゃなければ、自分の生活を回していくのに、その集落が死なないために、そこでの役割も果たさなければならない。 ハレの日ばかりではない、ときには煩わしささえ感じる、やりとり。 だから、キラキラしてない時も、過ご
何やってんだか。 年末までの勢いは何処へやら、娘(中3)はスローダウンしたまま、中学最後の定期テストが終わってしまった。 何やったら良いのか、わからへん。 世間も友達もとっくに受験ムードなのに、今こんなこと言えるのは、ある意味すごいのか? 今までずっとギャースカ言ってきた私も、どこか息切れしてきた。というか、これは彼女の受験であって私のじゃない。 でも、ここまで色々準備して、私立の受験料も払って、もういーんじゃない?頑張んなくて、とは、言いにくい。