「アホの一つ覚えみたいに」で良い〜からだ手帖 2月〜
灰谷孝さんの本「人間脳を育てる 動きの発達&原始反射の影響」にハマっている。
小児発達、発達障害の理学療法については、学校で習ったものの、私は、高齢者がほとんどの病院、施設勤めだったこともあり、ケースで関わる機会か殆どなく、また、なんか人の人生を重大に変えてしまいそうで、怖いイメージで近づいてこなかった。けれど、自分の発達障害っぽさや子どももグレーゾーンな感じで、日々子どもの学校や生活で困りごとが出て、連日「言って聞かせてください」と言われたり、電話で頭を下げるとかの対処に疲れ果て、「うまく出来なくて1番困ってるのは本人。本人が、どうしたらスムーズに他者と共にすごせるか」の解決策を考えるようになった。やり方身につけたらってそれが難しいねん!なんかシンプルにできることってないんかいな、と思っていて見つけたのが灰谷孝さんの本だった。
原始反射の影響と満足するまでやって卒業(統合)する。必要な時いつでもとりだせる。
頑張ってやる、のではなく、満足するまでやって、体が気持ちいい動作。
親も自分が楽になること。今できること。
読み始めると止まらない。そして、試さずにはいられない。
私は新しいことを知ると試しまくる、あるいはそればっかり色んな場面でやってみる傾向がある。
子供の頃から。小学生の時だか、漢字の読みで「係」を「かかり」と読むことを知っていた私は、国語の教科書に出てきた「関係」を「カンガカリってよむんだよ」、と吹聴しまくって後で恥ずかしい思いをした。でも、そんなに落ち込んだ記憶はなく、その後も新しく言葉の意味や漢字を知ると使いまくっていた。
すぐ使う。
でも、それがあって
どんな場面で使うといいか
実際にどう説明してその動きをやってもらうか
どんな感じに変化して、やった人自身の変化はどうなるか
が分かるし、漢字や熟語なら覚えられて、使いたい時パッと使えるようになった。
臨床実習のとき、バイザーに教えてもらった肩鎖関節のモビリゼーション。その患者さんの肩の動きの悪さを改善するには何をする?みたいなことで、例えばで教えてもらったことを毎回やってたら言われた。
「アホの一つ覚えみたいに、そればっかするな。」
理由や流れも分からずやってないで、考えてやれ、ということだったのだろうが、何が原因で動かないのか、どうしたらそれが解除されるかチンプンカンプンの学生であった私は、分からないからやってるのに、アホの一つ覚えみたいにって‥でもどうしたらいいか分からん。
と思ってしまった。
アホの一つ覚えみたいに、最初は繰り返しやってみていい。
自分のものにするなら、
やんなきゃわかんねえ。
特に、からだの構造は人間だいたいいっしょだが、何でそうなってるか、動かしてるかは人それぞれ、おんなじ人でもその時々の状況で変わるのだから、そのデータや経験もないのに、自分の頭の中だけじゃどうなるかなんて分からない。
今ならそう言える。