こんなときに、リハビリなんて。
「こんな時にリハビリなんて‥」
いらんし、と言ってなくても見える。この後アンタ面倒見るの?と目の奥に書いてある。
胸の奥がギュッとなるが、彼女の隣の主任がオロオロ顔で見守っている。
しかたない、笑顔でスルーする。
モヤモヤを抱えつつ、患者さん当人には、何とか笑顔で、じゃあベッドもどろっかー、と声をかける。
何度となく、言われてきた。
看護職や介護職。自分のイメージで喋ってる。自分が仕事中に体調くずされたら。
とりあえず、何もしなきゃ何も起こらない。
家族に電話して謝らなくていい。
疲れてる。沢山の人を見ている。必死なんだ。
彼らの理由を出してきて、胸の奥のグラグラをなだめようとするが、結局小さい声でも出てしまう。
「アンタ、リハ職違うやんけ」
世間に広まっている「リハビリ」と、理学療法士や作業療法士、言語聴覚士が関わる「リハビリテーション」は、意味が随分と違ってきた気がする。
元気いっぱい余力があるときにする、自分を鍛える運動?
筋トレ?ぶんぶん歩く練習?
結局ことばは使う人の都合で意味が決まっていく。
実際、「こんな時に」なことはあった。
入職1年目で、初めて一般内科担当になった時。
処方には外科手術後としか書いてなくて、挨拶がてら足の可動域訓練でも、と訪室したら、枕元で2.3人家族らしき人がいる。
本人は‥寝ている。なんか変だが。
「あの‥?」
いぶかしげに、一人が私を見たので、
「体をほぐすリハビリの処方がでてまして」
と答えた。
「え?‥こんな時にリハビリなんて、結構です。」
ただならぬ雰囲気の理由も分からないまま、私は退室した。それでも、脚だけでも、動かしたかったなーと思いつつ、別の患者のベッドサイドへ向かった。
次の日、その患者さんは、亡くなった。
寝てるんでなく、昏睡状態だったのだ。
だが、一方で、末期がんの方や、どんどん進行する脳腫瘍の人に、亡くなる前日まで関わったことはある。
急に亡くなる方も、ゆっくり進んでいく方もいた。
リハ職とそれ以外の医療従事者、支援者の中で、決定的に違うモノ。
リハビリ🟰余力がある時にする、運動。これから良くなるためにしてもらう、生活とは別のもの、ではない。
私らリハ職は、その人が過ごしやすくなるためにできることをするので、いついかなる場面でもリハビリテーションは展開できる、と考えている。
手術の前でも後でも。
終末期をその人らしく生きるためでも。
赤ちゃんでも。
クラブで怪我した小学生でも。
冒頭に出てきた患者さんは、小康状態で、車椅子のティルトリクライニングを倒せば、いつものギャッジアップ座位と変わらない姿勢が取れる。
だが、いつもベッドでいる人が車椅子に乗ると、ビジュアルの変化の、インパクトが強く、周りは不安になるらしい。
だからって、明日状態が変わって、死ぬまでベッド上でした、みたいなことになるのなら、今乗らなくていつ乗るんだ?
位牌を車椅子乗せて散歩できねーよ。
生きてちょこっと元気なうちに、やりたいこと、やっとこーよ。
「こんな時だからこそ、リハビリでしょ!」
まあ、日々の生活を支えてくれる、看護職、支援職の方がいるから、できることもあるので、全面対決はせんけど。
多職種連携て、気ー使う、ホンマに。
生活の一部に、リハビリ、入ったらいいなあ。