スリーピングビューティープロジェクト〜キニナル彼女が気になる私 JK〜
たいそうな感じのするタイトルだが、そんな変わったことでは無い。
心配性の母親の願いを、カタカナにしてみただけだ。
あなたがこのビジネスでやる社会的意味は、何ですか?
さわらぎ寛子先生のワークシートに取り組んでいて、立ち止まった。
社会的、意味。
最近の企業が、こぞって打ち出しているやつ。
利益追求だけじゃない、社会を意識した何か。
すぐでないってことは‥?
個人的理由で頭一杯の私が浮き彫りになる。
いや、一つ、あるかもしれない。
昨年末、娘のことを考えてて、浮かんだ言葉。
スリーピングビューティー・プロジェクト。
今年の春、娘が、高校一年生になった。
「受験ですよ!」から、かなり月日はたったが、ウヨウヨ曲折あって、結局市内の私立校に入学した。
電車通学。
いまだに信じられない。
アイツが定期券使って学校に通う‥遅刻もせずに‥。
とはいえ、遅刻連続して親呼び出しとか、留年とかになると、私学助成が受けられなくなる。ウチは助成金無しでは無理だし、その時点で彼女は即転校か働くか。
そんなん無理やん。
とにかく毎朝「早よ行ってー」「定期と鍵持ったかー?」を繰り返す。
まだ受験前のこと。
彼女が、もう一つ受けた私立が、結構北の果てみたいなところにあった。
そこに通うことになったら、40分ぐらい人でぎゅうぎゅうのバスに乗って、大きな駅まで帰ってくる必要があった。そして、その駅から、電車に乗り継ぎ、家の近くまで戻る。
それが毎日になる。
体験授業の帰りは、いつも寝入って頭がグーラグラ揺れて、隣の私に持たれてきていた。
1人で、乗ったら、車庫まで行ってしまうんじゃないか?
誰にも見つけられず、バスや電車が回送に変わって、気づいたら車庫の中。携帯電話も繋がらない、とか。
考えすぎー、フツーはならないよ。
フツーならね。
考えも及ばないウッカリが、今まであった。
でも、「幼い子」だから、そういうことはあるあるだよね、ですんだ。
今は?
旅行の予約も、映画のチケットも、もう大人扱い。
高校生の制服着て、もう「ちっちゃいからねえ」は、無い。
ふいに怖くなる。
寝てしまっている彼女に、誰か声をかけてくれるだろうか?終点だけど、降りないの?って。
高校生になったら、部活やらなにやらで、帰りが遅くなることもあるだろう。
その先、1人で暮らしたり、大学や就職したら‥?
ずっと自分が付いてはいられない。
「〇〇駅で起こしてください」とか、札を下げておく?
多分、本人は付けないなぁ。恥ずかしい、とかな。
昔は良かった、という訳ではない。だが、昨今の、園児がバスに残され亡くなった事件や、沢山の人がいるのに、電車で乱暴されたりとか、のニュースが、恐怖と共に身近に感じてしまう。
どうして、誰も気づかなかったんだろう?
お友達の子や、近くにいた大人、いつも一緒になる通勤客。
〇〇ちゃん、降りないの?
あれ?あの人いつも乗ってる人じゃ無いし、なんであの子の手を引っ張っていくのかな。
ホンマですね、車掌さん呼んできましょか。
どうして、誰も、声をかけて、くれなかったんだろう?
周りを責める訳じゃ無い。
夕方になるまで、誰にも気づかれないなんてことがあり得る怖さ。中に残された人は、誰か気づいてくれるだろうと、思っていただろうに。
誰も来ないと分かった時。
それが本当の恐怖だ。
眠り姫を見つけたら、王子は起こした。
そのまま寝かせておくわけじゃなく。
腹の膨れた狼をみて、狩人は食べられた赤ずきんとおばあさんを助け出した。
通り過ぎなかった。
終点についたら、普通みんな降りる。
寝てしまっている人がいたら、誰かが起こしてくれるものでは無いのか?
すぐ降りて乗り継ぎしたり、トイレに行きたい、電話しなきゃ、みたいな人しか、乗ってないのか?こんなに沢山人がいるのに?
それは自己責任じゃない?
できないやつは乗るなよ。
今って、なんかそんな風潮。こわい。
あれー?なんかミスったかも?みたいなこと、誰にだってあるはず。
自分から声を出せない人や、気づくのが遅い人が寝入ってたら、誰かが、「終点だよ、降りなよ」と声をかけてくれる。「車掌さん、この人起こしてあげて」と一声かけてから降りる。
お互い様のおかげさま。
もともと、それって日本にあった文化じゃなかったっけ。
ハンディや特性がある人を、朝、安心して親が送り出せるような、そんな社会であってほしい。
スリーピングビューティー・プロジェクト。
コミュ障ぎみの私は、何やってるか?
落とし物を落とした瞬間、とか、忘れ物を忘れたその場とか、他人のそういう場面に、私はやたらと遭遇する。
あのーこれ‥(忘れてますよ)。
そういう役なのかなーと思い、声をかけている。