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からだ手帖 12月
思い込みによる逆走・自分と付き合う助走
「shokoさん皮膚薄いから〜。」
フットケアサロンで終わりかけにサラッと言
われた時、それまで眠くてしょぼついていた私の目が、カッと開いた。
皮膚薄い?厚いのではなく?
「かかとがガサガサって、皮膚が分厚いんじゃないんですか?」
「それは角質です。今取りました。」
がーん。
昭和な顔でショックを受けている私に、ケアリストさんはあれ?と驚いている。
皮膚薄いですよ?いってませんでしたっけ。
薄いから、水分入れてもすぐでてっちゃうの。保っておけなくて。
刺激も入りやすいから、感覚とか過敏になるし。
皮膚、育てないとですね。
そんな感じのことだったと思う。
がさがさで掻き割れた足のスネ。
手指の先のヒビ割れ。
聴覚過敏、人混み苦手。
自分の現在と、今までのことが、「皮膚薄い」で、すべて納得できた。
何より、皮膚が「育つ」という希望。
ふかふかしっとり、たっぷり水を蓄えておける皮膚へ、育てるには、どうするか。
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皮膚のこと。
それが今の自分の鍵になる、と思ったら、必要なことは、次々とやってきてくれる。
とにかく保湿。風呂上がりや、手を洗った後クリーム塗ろう、と思って尿素入りクリームを使っていたら、夫からストップがかかった。
尿素成分は自分の皮膚を溶かして、やわらかくしてるから、皮膚が薄くなるんだよ。
どおりで、尿素入りクリームを手指のヒビ割れにつけても、すぐ乾いてきて治らないわけだ。(考えてみりゃ尿素入りクリーム使うのってかかとガサガサとかの角質ケアだった。)
クリームだったら何でも保湿、という思い込み。怖ー。
ドラッグストアに家族で立ち寄った時、その話になって、ヒビ割れに効く方のクリームを買った。その日の夜につけて、即効果が違うと分かった。全然、乾いてこないし、指の割れているところが、痛く無くなった。
クリーム塗っても治らないって、自分よっぽど体調わるいかな、年のせい?と気持ちが鬱々していたのが、スッキリ。何気ない動作で「痛っ」てなるのを繰り返すと、本当に心身共にダメージをくらうものだと、実感した。
そして、「透き通るような白い肌」イコール「皮膚が薄い」のではない、という事も。
子供の頃から色黒の私は、ずーっと白いもちもち肌に憧れている。心の奥底で、皮膚は薄い方が白くみえるって、思っていたみたい。
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こうして、皮膚を育てるプロジェクトが自分の中で始まった。
途端に、ぎっくり腰。
クリスマスの次の朝、息子の忘れ物の弁当箱に手を伸ばした瞬間である。
医者には、日にち薬で、だんだん良くなる、と言われたが、今現在も動くと痛い。
腰の痛みは、ずっとではなく、何かの拍子に痛っ、となる。またか。
痛い方と逆の方に体重をかけたら、などと頭で考えたところで、全く痛い。もはやアタマはひっこんでろ、と言わんばかりだ。
車から降りる時、椅子から立ち上がる時、落ちた箸を拾う時。痛みが出るか出ないか、探りながら出す足の方向を決める。
どうも、急に一ヶ所(右手だけでギュッと引っ張る、等)に、力を入れると腰痛が出るっぽい。
どこにも力を入れず(力まず)、体さばきをつかって冷蔵庫のドアを開ける。下の段の小皿を取る時は、体幹は真っ直ぐなまま、重力に逆らわず、ストンと片膝を着いて、皿を手に取る。
さながら武士のようである。
最近見た時代劇の大河ドラマの中で、殿のいる部屋へ、幕臣が入る時、部屋前にいる家来の侍が、御簾を上げていた。上げてすぐ閉じない。何なら話終わるまで上げている。
今より相当少ないであろう食糧の状況や、冷暖房が無い板間での暮らし、何ヶ月もの戦も考えると、こういう武士とかって、相当筋肉があった、というより、無駄に筋力を使わない、省エネな動きを身につけていたんじゃ無いかと思う。
痛みがあっても、動ける体へ、育てろ、と私の体が言っている?
私の体にガタが来始めたのは間違いないが、それは治す・治るといった類のものでは無い。これから痛みや力の弱さと付き合っていく、その助走が、私の体の中で、始まったのかもしれない。
良いお年を。