いつかの熱帯夜に思ったこと〜からだ手帖 盛夏 〜
いつかの熱帯夜に思ったこと
結局、暑すぎるとニンゲンおかしくなるよ、と伝えたいのだろうか。
テレビのニュースの話だ。
今日の夜、テレビのニュースを見ていて、プールの授業に数人生徒が遅刻したから、連帯責任でクラス全員プールサイドを走らされ、水ぶくれが出来て大問題!みたいな話があった。
はぁ?
なぜそんなことになる?
暑い中、入ったら気持ちよさそうなプールを横目に、熱々のプールサイドを走らされる。
それで子どもたちは何を学ぶのか?
シンデレラの最後、継母が熱々の鉄板の上で、ずっと踊らされたシーンが頭に浮かぶ。
残酷以外の何者でもない。
全員で火傷したら、次から注意しあって遅刻しない?みんなで頑張ろうとか言って?
なりませんよ、ゼッタイ。
他にも、公園のシカを蹴り上げていた男がいた映像が繰り返し流されていた。怖すぎる。
子どもに見せたらあかんやつ。
こういう事件の動画って、つい、録画しているキミ、シカ🦌を助けてあげてーと思う。が、瞬時に、自分なら、その男には怖すぎて近づけない、せめて証拠録画残して通報?って、なるよな、と頭に浮かんだ。
子どもって、自分の好きな時に休めない気がする。
前述の、プールの周りを走らされた子どものニュースを聞いて、子供達は、何で誰も嫌って言えなかったのだろう?と思った。大人だったら、キレて立ち去るとかありそう。
子どもって、自分の好きな時に休めてない気がする。
自分を振り返ると、思う時にお茶飲んだり、休憩したりできるようになったのは、出産後職場復帰したあたりから、のような気がする。それまでは、トイレに行くタイミングさえ困っていた。今は、仕事中でも、ちょっとしんどいな、と思ったら涼しいとこでじっとしてたり、お水飲んだり、車椅子に乗った患者さんを、送るついでに、院内のどっかクーラーが効いているところをゆーっくり歩いていったり。
しかし、子ども。
学校や学童保育みたいなところでは、大人の許可がないと、教室でうちわも使えやしないのだ。
最近中学校から貰ったプリントに、小型扇風機を持って来て良い、というのがあった。昭和生まれの私は、最初それを見て、はぁ?学生の分際で?と思った。大人には、逆に持ってないと熱中症になるし、当たり前だよね、と思うのに。
私も、大人の許可なしに子どもは動いてはいけないって、思い込んでいたわけだ。インフルエンザ感染とか、熱が出たら「休んでもいい」。この休んで「もいい」が、おかしい。暑くても学校は行くもの、とか、体調悪い時は、休んでよし、とか、自分が昔大人に言われた言葉の断片を、そんな風に解釈してしまっていた。
だいたい、私が中学生のころと、今とでは気温が違いすぎる。昭和は、気温が30度超えたら真夏日で、しかも1ヶ月に数日あるかどうかぐらいだった。エアコンだって、付いてなかったから、夜は網戸にして扇風機をタイマーをかけて回していた。
冷静になれば、そんなことすぐ分かるのに。
連日の熱中症警戒アラート、夜になっても下がらない気温。
大人だって、暑さにやられて判断を間違う。
前述のテレビのニュースみたいに。
大人は自分の身を守るために、家の外へ出ないことも選択できる。子どもも、自分でそれを選べる環境になれば、大人も子どももちょっと安心できそうな気がする。現代は、AIとか、最新の技術があるのだし、子どもが自分で判断することを、サポートするような、そういうことに使えないかなー?