HSS型HSPが一人でNYに行って感じたアメリカ人と日本人の違い
年末年始の連休を使ってニューヨークに行った時の話。普段は国内ですら滅多に旅行をしない自分。当然初めての訪米。記憶が薄れていくのが惜しいと思うほど新鮮な体験の連続。
今回は印象的だったシーンを一つ取り上げます。ちなみに総括的な話は過去記事に。(「興味のあることはとりあえずやってみよう」という内容です)
さて本題ですが「アメリカ人と日本人の違い」。文化の違いともいえるかもしれません。エピソードを二つほど紹介しつつ、書いてみようと思います。まず一つ目。
今回はニューヨークに行ったのですが、大陸そのものの広さもあり何もかもが日本とは違います。しかし見方を変えれば同じ光景も目に入ります。例えばホームレス。私が普段暮らしている日本と同様、現地にもホームレスがいました。当然、服は汚れ、髪もボサボサです。
滞在初日はとにかく自分がアメリカ大陸に足をついたことに感動してばかりで、その存在を特に気にしていませんでしたが、何日か過ごすうちにあることに気がつきました。日本で見かけるホームレスがしていないようなことを、ニューヨークのホームレスたちはしていたのです。
歩き回って疲れたので、一旦ホテルに戻って休憩しようと帰っていたときのこと。途中で軽食を買うためにコンビニに入ろうとすると、私がお店に入りやすいようドアを開けてくれる人がいました。「入るのを先に譲ってくれたのかな」と何となく気にしていると、その人はお店には入ってきません。何をしているかというと、どうやら店内には入らずにじっとドアの前に立っている。そして私が買い物を終えお店を出ようとすると、今度は外側からドアを開けてくれました。うまく聞き取れませんでいたが、何かを言っているのです。「何を言っていたのだろう」と考えているうちにその場は離れてしまいましたが、やがて察しました。あの人はホームレスで、自らドアマンの役割を果たすことで対価としてのお金をもらおうとしていだと。
ストーリーとして聞くと「なんだそんなことか」と感じられるかもしれませんが、私にとっては興味深い発見でした。なぜなら、日本で同じようなシーンに巡り合ったことがないからです。つまり、自ら率先して人の役に立とうとする姿勢、私はあなたのお役に立ちますよと行動で示す態度です。(※一応明記させていただきますが、実際にあった出来事とそれに対する私の感想を述べているだけであり他意はありません)
この体験は色々考えるきっかけになりました。例えば「日本ではそういう人を見かけないがアメリカにはいる。その違いは何だろう」という疑問から、「自ら何かしらアクションを起こさなければ、本当に餓死してしまうほど厳しい社会なのかもしれない」とか「逆にアメリカ人はフレンドリーだから行動さえすれば結構簡単に見返りを得られるのかもしれない」とか「日本では何もアクションを起こさなくても餓死することがないから(お金や食べ物を恵んでくれる機会が多い)、そういうシーンに巡り合わないのかもしれない」とか「そもそも日本のコンビニは自動ドアであることのほうが多いじゃないか」とか…。
他にも、街中にあるゴミ箱をまるで番人かの如くずっと見張っていて、人が食べかけのピザや飲みかけのジュースを捨てに来るのを待っている、とか。日本にもそういう人はいるのかもしれないが、少なくとも私は見かけたことがない。それに、ニューヨークでも全員がそういうアクションを起こしている訳でもない。サンプル数は少ないけれども、自らの実体験としてこういうことに出くわし、色々考えたということです。
二つ目のエピソード。ニューヨーカーは平気で信号無視をします(徒歩に限る)。ゆえに街では常にクラクションが鳴り響きます。それに加え、救急車やパトカーのサイレンも加わり、けたたましいことこの上ない。
一旦ここで話を逸らすのですが、私は「信号機」についてよく考えることがあります。「誰が見ても明らかに車が来ていない赤信号。待つべきか、渡ってしまうか」です。ここで注目していただきたいのは、渡るか渡らないかというよりも、「そもそも信号機の存在価値ってなんだっけ」という点です。
当然、大昔には信号機が存在しません。しかし現代には信号機があちらこちらにある。どうしてか。それは必要だからです。もう少し詳しく言えば「人間社会を形成していくうえで、あったほうが人類に有益だと判断されたから」です。信号機(=青は渡ってよい。赤はダメ)という一種のルールがあったほうが社会全体にとって良い、ということです。
これは信号機に限らず「ルール」や「決めごと」に当てはまりますが、その過程ではメリットがデメリットを上回ると判断されているだけで、デメリットがゼロになるわけではない。例えば、信号機を導入することのデメリットは何か。それは、メリットともいえるかもしれませんが「頭を使わなくて済む」ということ。
青は渡り、赤は止まる。いわゆる思考停止状態でも、ルールを守るだけで社会がうまく回る。全体的に見れば良いことのように思えますが、果たしてどうでしょうか。池袋の暴走事故。信号を守っていた歩行者ら計11人死傷です。「ルールさえ守っていれば安心だし安全」とは決して言えない。失われた命は戻ってきません。
こういうことが起きるのです。なので私はいつか自分に子どもができたら、「信号を守って」というよりも「車には気を付けて」という伝え方をしようと思っています。(先の事故など、いくら気を付けていても避けるのが難しい災難もありますが…)
閑話休題。ニューヨークでは、身の危険を感じるほど車が近付いていなければ赤信号でも平気で渡ります。家族連れでもです。そういう光景を見て私は、「ルールを持ちつつも思考停止でそれに則るのではなく、場面に応じて対応するような心持ち」が、GAFAMに代表されるようなアメリカ発のイノベーションに繋がっているのかもしれない、なんて考えたりしました。
まとめ
どちらのエピソードも人権や法律に関係してくる領域で書きづらさはあったのですが、記事のメッセージとしてはシンプルで「考えるクセって大事」ということです。
私も偉そうにいえる人間ではないのですが。これからもなるべく自分の頭で考えることを大切にしながら生きていこうと思います。