(3)死生学という人生の戦略
「出口戦略」という言葉がある。「損失が大きいときに、いかに損失を少なく抑えながら撤退するか」という意味だ。日常的にはビジネスシーンで用いられるが、今回はこの言葉を人生に当てはめて考えていきたい。
これは、「人生という苦しみの連続の中で、いかにそれらと向き合い死を迎えるか」という問いかけである。即ち、人生に対する戦略的考察である。
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そもそも人生は苦悩の連続なのかという疑問もあろう。それは「一切皆苦」という仏語の通りである。逆境時は困難であり、順境時はその後に訪れる逆境に恐る。この世は諸行無常、万物流転である。順境が順境であり続けることはない。畢竟人生の一切は是れ即ち苦である。人生一切が苦であるならば、其の終わり即ち死は苦からの脱却、解放、撤退と言えよう。
ならば、我々は一体何処に生きる術を求めれば良いのか。自ら死を選び苦悩の連続から脱却する道か。それも一つの選択肢であろう。しかし私は別の道を提示したい。一切皆苦という運命を引き受けて尚、生きることにこだわることが極めて人間的であり美しい選択であると考えるからである。
ここで、「生きる」という道には二種類あることが分かる。其の一は、先の一切皆苦を自己の内に発見し、それでも尚生きるという道を選択した上での「生きる」である。其の二は、一切皆苦の発見無しにただ生き続けるという意味における「生きる」である。以上二つを比較すれば、双方共に身体は活動状態にあることが分かる。一方、その精神性たるや雲泥の差である。
話を戻す。「出口戦略」を人生に当てはめて考えた場合、己の人生を客観視することが可能となる。鳥瞰的視座でビジョンを描くことが可能となる。加えて、人生は一切皆苦という前提が存在するが故に、極めて悲観的現実的に計画立てることができる。
「客観的な評価」「鳥瞰的視座」は、自己の生への納得感を高める効果を持つ。何故ならば、これらは「生に対するコントロール感」「選択感」を高めてくれるからである。地図を見れば現在地と目的地の位置関係から進むべき方角を定めることができる。闇雲に道を進むより、進むべき方角を知った上で進む方が「コントロール感」は高い。
「悲観的現実的視点」も重要である。何故なら、死は突然起こり得るからである。故に瞬間瞬間備えるべきであり、この「死に備える」という点において「悲観的現実的視点は有効である」と言える。
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死生学という学問がある。死の必然性に立脚し、生について考える学問である。個人的には今回のような、「出口戦略」で人生を考察する試み、と通じる部分があると考えている。それ故に本記事を書いた訳だが、いかがだっただろうか。日常で使われている言葉は、応用方法如何で人生観死生観にまで広げることが可能となる場合がある。
私はこれまでの人生で、日常に転がるあらゆる要素を拾い上げ、人生観や死生観にまで広げる術を培ってきた。そうせずにはいられないらしく、それが私の性のようである。この重っ苦しい性格が障害に感じられる時も多々あるが、今はこの授かった「思考癖」を最大限発揮、利用してやりたいと考えている。今を生きる同じような性分の人のために。これから生まれる同じような性分を持つ人のために。
己の為に、他人に尽くすことにする。