好きの反対は「無関心」?じゃあ無関心の反対は??
こんにちはSHOです。僕のnoteを読んで頂きありがとうございます。
前回、このような投稿をさせて頂きました。今回の内容にも繋がってくるところがありますので、まだ読んでいない方いらっしゃいましたら一読して頂けると幸いです。
僕は「ダイエット」に関する業務を行なっていますので、ダイエットについて伝えたいと思っていますが、このことについては「ダイエット以外の分野」においても通じるものがあります。ダイエットをしている人においては、もちろんしっかりと読んで頂けると嬉しいのはもちろんですが、それ以外の方でも参考にして頂けるともっと嬉しいです。
○自分のことを「好き」になろう?
僕は実体験から、元々は身体を作るのも「食」だし栄養のこととかしっかり学び、食について知識を積み実践していくことにおいて、自分が望む身体を手に入れることができる可能性が高いと考えていました。でも、それより大事なものがあった、それは【心】だという話を前回の投稿でも組ませて頂きました。
ダイエットをしたい、もっと痩せたい、自分をもっと高めたい、鍛えたい、見た目を変えたい、もっと言うのであればダイエットを通じてもっと自分に自信を持ちたいと思っている人は、総じて言えば今の自分が【嫌い】な人が多い印象です。もちろん、自分が好きな人でもダイエットをしたいという人はいます。ですが、ダイエットで悩みなかなか思い通りにいかないというタイプは自分のことが嫌いな人が僕の統計では多いのです。
自分のことが嫌いなので、人と比較することも多いです。自分に自信がないため、自分より格上だったり綺麗な人を目の当たりにすると劣等感を持つことも少なくありません。今の自分の身体のパーツのどこかにコンプレックスを持っている人もいるでしょう。このようなものは、いくら「食」に気をつけたりしても、それだけで変化することは正直難しいです。
僕の経験で恐縮なのですが、自分の心が弱っているときは正直申し上げて「食」のことはどーでも良くなります。栄養価が高いものを摂ろうとか、食に対して感謝をしようとか、そんなこと綺麗事だとか思うようになります。大事なことは分かっているのですが、実際にそこまで考える余裕がなくなります。そういう意味においても、整えるものは「食」より「心」のほうが優先順位が高いと考えます。心が荒むと色々なものが自分の思い通りにならなくなっていくのです。
ここで、よく言われることが
みたいなことです。これは正直厳しいこと、酷なことだと思ってしまいます。僕なら「そんなこと言われても…」と思ってしまいます。
○「好き」⇄「嫌い」
もう1度整理させてください。
「なぜ僕がこんなことを話しているのか」ということですが、僕は自分自身が「鬱」のような状態を経験しているので「自分が嫌い」と思ったことが何度もあります。そして「こんな自分消えてしまえばいいんだ」とか「もう放っておいてほしい」とかものすごくネガティブなことを考えることが多くなっていきました。
このように思ってしまう原因というのは「今の自分が嫌」という劣等感だったり敗北感だったりコンプレックスだったりするのです。自分が好きになれないからこそ思ってしまうことなのですが、ここで僕が強く言いたいことは
ということなのです。他人と比較してしまったり、今の自分の現状をみて理想とかけ離れていると思ってしまうから苦しくなるのではないでしょうか。「理想(願望)=好き」という気持ちがあり、こんなはずじゃない、今の自分が許せないという感情がどんどん大きくなるから苦しくなるはずです。
「嫌い」という対極に「好き」という感情があると、ものすごく苦しいです。僕は苦しかったから、同じように思う人はきっといるはずです。
なので、そのように苦しんでいる方に伝えたいことがあります。
ということです。僕はよく「表裏一体」という言葉を使いますが、まさにそれなんです。僕はこんなことを考える気持ちも余裕もなかったし、そんな知識もありませんでした。だからこそ、このことを知っておけば、もしかしたら心が少しでも軽くなるかもしれないと思いました。
また、これは当事者だけではなくて、その人の周りにいる、近くにいる人たちにも伝えたいことなのです。何か相談を受けて善意でその人に「良かれ」と思って励ましたり、共感するようなことを伝えても、その人からすればいわゆる「マウント」のように感じてしまうことも少なくないのです。「嫌い、嫌い、嫌い!」とネガティブな発言をしていても、その裏にある想いがあるはずなのです。
○人の気持ちは複雑
一般的には「好き」の反対は「無関心」であると言われています。関心があるから「好き」になる、無関心であれば「好き」にはならないから。
僕は「本当にそうなのかな?」と疑問を感じています。
例えば、仕事において上司が部下に対して説教をする、顧客が担当者に対してクレームを入れる。これは総じて言えば「怒っている」という状態だと考えます。
こういう状態に対して「怒られているうちがまだ華だ」「相手にされなくなったらおしまいだよ」とか言われたりすることもあるはずです。うん確かに、怒られている、クレームをされるということは「期待」の裏返しの場面もあるはずです。言い方を変えれば、その相手のことを「気になっている」「関心・興味がある」から行っていることだとも言えます。ここ、すごく大事なところです。
では、その相手は怒っている対象のことを「好き」なのでしょうか?それとも「嫌い」なのでしょうか?
…..分からなくないですか?「好き・嫌い」という1つの言葉、1つの感情で単純に当てはめることができない気がするのです。このような場面ではもっと「複雑な何か(意識・思考・感情)」が働いている気がするのです。
結論、僕が何が言いたいのかというと「好きの反対は無関心」だというのは「好き」に焦点を当てた場合にしか言えないのではないか?ということです。気になる、関心がある場合は「好き」でもあるし「嫌い」でもあることがあります。そして、「無関心の反対はなんでしょうか?」と聞かれた場合には「好き」とはならないはずだし「嫌い」にもならないはずです。「無関心」と「好き・嫌い」は相反する関係にない、人間の感情はそんな簡単に当てはまるものではない、もっと複雑のものなはずなのです。
○人は誰しもが「自分が好き(嫌い)」になる
これは僕の考えなのですが、自分が最も興味がある人は「自分」だと思うのです。自分に最も興味・関心があるし、自分に最も期待をしている。だからダイエットにも励むと思うのです。だって、自分に興味・関心を持たないのなら、ダイエットなんてする必要なくないですか?他人に評価されたい、もっと自分に注目してもらいたい、すごいと思われたい、必要とされたいという感情(承認欲求)があるからダイエットをするはずです。その感情が満たされれば自分を好きになる、満たされないと自分を嫌いになるのです。
「関心」とは【ある物事に特に心を惹かれ、注意を向けること】をいいます。「物事」とは主に名詞であり「モノ」や「場所」だけでなく「人」も含むと考えます。もちろん、名詞だけはなくて動詞や形容詞も当てはまることだってあります。なので「主に名詞」と言わせてください。
「心を惹かれ、注意を向ける」とは、平たくいえば「気になる」と変換できると思っています。気になるとは「思考する」とほぼ同義ではないでしょうか。
人は一瞬で(同時に)複数のことを思考することができません。もしかしたらいるかもしれないけど、それは一部の天才なはず。なので、そのような方を除けば僕はこのように思っているので、関心とは、その物事を思考する【頻度】だと思っています。この頻度が高いものほど関心が高いはずです。
「好き・嫌い」とは、この関心がどちらのベクトルなのかだけだと思うのです。ポジティブな感情であれば物事を肯定的に評価できるので「好き」に傾く、ネガティブな感情であれば物事を否定的に評価しやすいので「嫌い」に傾く。上で申し上げた通り、人間の感情は複雑なものなので、1つの物事においても「好き」と「嫌い」は同時に存在するはずです。このような意味において僕は「好きと嫌いは一緒」「表裏一体」なんだと捉えています。
嫌いな自分があってもいいんです。無理に「好き」になろうとしなくたっていいんです。無理矢理自己肯定する必要なんてないんです。辛くなりますそんなことをしても。どんどん苦しくなります。
になってしまうんです。でも、ここまで読んで頂けているなら分かって頂けるのではないでしょうか。このように考える原因は何か?それは「感情」なのです。
○好き・嫌いを決める要素
1つは今申し上げた通り「感情」です。
例えば「ドーパミン」という神経伝達物質について。これは1度経験した「嬉しい・楽しい・気持ちいい」というような【快】の感情、またはワクワク感のようなものを記憶し、再びその快感を得るための意欲(モチベーション)を生じさせます。「報酬系の神経伝達物質」と言われる所以がここになるのですが、この場合は経験に基づいて物事に対する「好き嫌い」に影響を与えています。上で挙げた「嬉しい・楽しい」のような感情も言い換えれば「好き」ということになるのではないでしょうか。
人は自分が経験したことのなかで生じた感情に基づいて「好き・嫌い」を決めています。どのような感情が生じたかによって変わるので、単純に「AならばB」のような方程式では成り立たないはずなのです。人によってどのように感じるかは違うし、量より質なので式で表すことではないからです。
そして、もう1つは「価値観」です。自分の中にある譲れない価値観を【コアビリーフ】とも呼びますが、それ以外にも自分の期待や理想だったり「○○は〜であるべき」などは、自分の感情に大きな影響を与えます。先ほど僕が書いたところで「ここ、すごく大事なところです」と伝えていたところは、ここにかかってくるんです。
さらに複雑になる要因を挙げるとしたら「社会」にあります。例えば、自分の価値観の中では「○○であるべき」というものがあり、それを受け入れたくなかったとしても社会的には「▲▲であることが認められる」とかあると、結局自分はどうしたらいいのか、「好きなのに嫌い、嫌いなのに好き」というような、何と言ったら良いか分からないことも起きえます。
要するに、今まで積み上げてきたキャリアだったり経験をベースにして価値観が作られ、そこにプラスして「快・不快」といったものが加えられて態度として現れるのが「好き・嫌い」だと考えます。
○この話の結論
好き・嫌いと無関心というのは、反対の言葉ではないと僕は考えています。理由は今まで申し上げてきた通りです。ただし、全く無関係ではないというもので、相関関係はあると考えています。なぜか?関心の高さが好き・嫌いに影響を与えるからです。
「自分のことが嫌い」ということは「本当は自分のことが好き」という裏返しでもあります。逆に言えば「自分のことが好き」というのは、実は見かけだけの場合もあります。そのように見せて「本当は自信がない」「見透かされたくない」だからこそ表面上は強く見せているという場合もあります。なぜ、そのようにしてしまうかというのは、人間の中にある複雑な感情だったり、価値観が強く影響しています。
「好き」も「嫌い」も基本的には同じラインにあると考えます。だから、嫌いだからってひどく落ち込まないでほしいです。少しでも気持ちに余裕が出来たり、今の自分を変えたいという気持ちが出てきたら、自分の感情と向き合い、その感情をどのようにコントロールしていけばいいのか、心を整えるための習慣を身につけてほしいのです。
「そんなことを言っても、どの感情が強いのか分からない!」
という方もいらっしゃると思いますので、その時に参考となるのが「4つの基本的感情」なのです。自分の中で心が動くことが起きた時に感じるものはこの4つで示すのであれば、どの感情が大きいのか数値化してみると良いです。
そういう意味で僕は「怒り」の感情の出し方に歪みがあったので悩んでいたというのが前回の投稿でお伝えしたことです。だから怒りのコントロール(アンガーマネジメント)が必要だと感じました。自分が今、何をすべきかどうか、どうやって心を整えていけばいいのだろうかを自分で考えていくことから始めていきましょう。
冒頭でお伝えした通り、これは「ダイエット」ではもちろん大事ですが、それ以外の分野においても参考になるのではないかと考えています。
今回は以上となります。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
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