18 非行少年 翔たちが見舞いに行って、三月も経たないうちに安岡は息を引き取った。52歳の早すぎる死だった。 安岡の住んでいた名古屋駅の近くの市営葬儀場でお通夜が営まれた。お通夜では急遽第三十代寮長として、第三十五代寮長の安岡孝之の弔辞を翔が読むことになった。 翔は急いでメモとペンを葬儀場で借りて、弔辞の下書きを作成した。お通夜までは2、3時間しかなかった。 下書きをしながら実の弟のような安岡の屈託のない笑顔や悪戯な仕草が目に浮かび、翔の目からは涙が勝手にこぼれた。
二 父の病気 その町でわたしの父は鉱夫ではなく、大工として働いていた。好景気の頃は何かと仕事も多く、わが家の暮らしも順調だった。 ところがわたしが生まれてすぐに事態は一変した。父はときどき倦怠感で体が辛くなるらしく、仕事を早めに切り上げ、家で横になるようになった。日を追うごとにその回数が増えた。町の病院で調べても原因は分からないまま、ついには大工としての仕事は続けられなくなった。 父はいつでも体が重いらしく、自宅から2キロ程度の場所にあった仕事場へ行くのもやっとのこと
1 12月23日(土)9時19分。 Noteに「父のキャッチャーミット」という小説の最終章(15)を掲載した。拙文ながらも小作品を完成させて、ちょっと達成感を覚えていた。そして「次に何を書こうかな」と考えながら、パソコンをググっていた。 突然、「雄別鉄道」という文字が目に飛び込んできた。それはGoogleの検索窓の左下側にあった。なんと、さきに紹介した小説「父のキャッチャーミット」の舞台が「炭鉱町・雄別」で、私の生まれ故郷だった。 「地下道奥の扉、埋もれた転車台 雄別
2 中年実業家 安岡は入寮したときから個性的というか、少し変わっていた。 なんとなく場馴れしていて、誰とでも仲良くなれる特技を持っていた。それが図々しいというか無遠慮というか、地球の中心にはいつも彼がいた。 彼は60'sに流行ったアイビールックがよく似あったシティボーイだった。だから(付き合う前の!?)女の子にはもてた。 そんな彼は大学を卒業してから、なぜか二学年上の翔たちの同窓会に律儀に顔を出した。翔がさすが実業家をめざしている男だけに情報には敏感だなと感心していた
1 突然の訃報 真夏の容赦ない紫外線が、乾いた土に照りつけている。葉陰のたった一滴の水をも奪いつくすように。 8月半ばの太陽は伊豆半島の根元にある小さな中学校のグランドや部員たちを、赤銅色に焼き尽くそうとしていた。そのグランドのホームからレフト方向に霊峰富士が仰ぎ見えた。 霊峰は地上の人々とは対照的に、目を細めながら涼しげな表情で地上を見下ろしていた。その山肌は野鳩のような鈍色で、艶やかな太陽の反射光を湛えていた。 だがグランドのすぐ西側にある「憩いの森」と呼ばれる
21 学生寮よ、永遠に パソコンで見つけた後輩のブログをさらに読み進めていくと、驚愕の事実と出会った。 「歴史ある学生寮だったんですが2021年3月末に完全閉寮予定らしいです。私がいた頃から古かったけどあれから20年……残念だけども、建物の老朽化も激しいだろうしな。寮食のおばちゃんにお手紙書こうっと」 とあった。 ついに閉寮という文字を見つけてしまった。やっぱりな、という思いと一緒に、学生寮への愛着あふれた文面に思わず笑顔になった。「手紙を書こうっと」という表現に彼女の
20 長雨(ながあめ) 降り続く雨の中、帰りの新幹線は名古屋駅を出発したが、大雨洪水警報であっけなく運転停止になった。 翔が大学を卒業した5年後に発売された「青春18きっぷ」を思い出した。正式名称は「普通列車普通車自由席用乗車券」という。5回(人)は自由に列車に乗れる優れものだ。けれどこんな名前じゃ誰も買わないだろうなと思った。時間があればどこへでも行けそうな「魔法のキップ」だった。「青春18きっぷ」、なんて心をくすぐるネーミングだろうと思った。 けれど世の中はそう
19 弔辞 翔は一度目を閉じ、深呼吸をした。そして原稿を読み上げた。できるだけ淡々と感情にとらわれずに。 あなたが高校生の頃は手のつけられないやんちゃ坊主だったと今日初めてお会いしたお父さんから聞き、寮生一同少々驚きました。 少々というのは、実はあなたの振る舞いからそのやんちゃぶりがうすうす推察できたからでした。 それは運命としか思えないA大学学生寮に入ったときから始まりました。 あなたは同期の誰よりも、4、5日早く入寮し、面倒見のいい金城君の部屋に棲み付いていま
17 奇跡の大逆転 相手の攻撃の流れは止めた。 だがまだ得点ができない。 いよいよコールドゲームが成立する5回表の攻撃が始まった。 N中の本当の武器は打撃だった。どんな劣勢も跳ね返すことができる強力打線を有していた。 もともと足が速い選手が少なかった。でも腕力と体重(失礼!)だけは人にあげたいほどあった。 毎日素振りとティー、トス、フリーバッティングを朝練や放課後の練習で繰り返した。冬には軍手をはめてバットを振り続けた。一冬越えてエースM以外にも、ややスマートにな
16 最終兵器A1号 相手はやることなすこと全てがはまり外野のファインプレーまでも飛び出す始末。これは負ける典型的なパターンだった。 相手チームのエースはサウスポーで、右打者のアウトコースのコントロールが抜群だった。インコースのストレートでバッターを詰まらせたり、カーブで空振りを誘った。そして仕上げはアウトコースのストライクゾーンの出し入れで三振を奪った。5回まで手も足も出なかった。 選手を硬くしているのは、勝たねばならないと考えている顧問の自分のせいではないのか。選
15 絶体絶命 帰りは東京方面に向かう大村やおいどんたちと一緒だった。翔は彼らを見ていて、ふと思った。 自分は小学校では人見知りではきはきしない児童と言われ、中学では真面目で目立たない生徒と言われた。それでも中学の野球部ではキャプテンを務め、高校では生徒会副会長にもなった。すべてまじめさが所以のことであった。だが自分は、金城や大村やおいどんのように、かつてこれほど他人に親身になどなったことはあっただろうかと自問した。 翔は競争原理の下で部活も勉強も頑張ってきた。兄弟は
14 懲りない男たち 翌日の早朝、寮長の横山一弘に女子寮から抗議が入った。 四〇五号室のイケメン臼井が布団に包まれ、女子寮の二階に投げ込まれていたという。いわゆる布団蒸しだ。 犯人は明らかだった。 副寮長で三年の姫川あかねは四〇五号室の住人と寮長を食堂に呼んで厳重に抗議した。どう言う訳か被害者だった臼井もそこにいた。 それは抗議というより公開説教だった。 翔はすぐにその女子大生は新歓コンパで長いこと自分が見とれていた副寮長の女子大生だと分かった。その瞬間、 「鬼の
13 406号室酒乱事件 寮生活で生起する出来事はいいことばかりではなかった。 今回の酒宴の席でも、「406号室酒乱事件」が持ち出された。当時406号室の住人であったおいどん本人に1学年下の後輩寮生が真相を尋ねたからである。酔った本人は忘れていることが多いので、事件の傍にいて全貌を知っている翔(かける)が解説した。 それはおいどんや翔たちが入寮した翌年のことである。 寮前の桜が既に葉桜となった頃、寮ではその年の新歓コンパが終わっていた。だがその後も何かと理由をつけて
12 地獄のハイキング 「ねえ、みんなでハイキングに行ったの覚えてる?」 今度は元女子寮の同級生から話が飛んできた。 「とっても楽しかったわ。でもあんとき男子寮生はたいへんだったんだよね」 「そうや。死ぬかと思ったわ」 と金城は答え、おいどんはうなずいた。 このエピソードも翔(かける)もよく覚えている。 寮の二大勢力、金城が所属する文化局とおいどんが所属する食堂委員会が執行部ともいえる運営委員会を押しのけて、初めてタッグを組んだ。それが「ランチつきハイキング」だった。
11 ミイラ男 酒宴の席では、めいめいが隣同士で自分の近況や安岡のことについて語り合っていた。しばらくして金城が、 「みんな覚えてるやろ。おれらが1年生のとき、全身に包帯を巻いた怪人ミイラ男がいたこと」 昭和52年度卒業の同級生たちはすぐに誰のことか分かった。 入寮して、寮自治会や行事などのガイダンスがあった。寮生自身が生活規則や約束事、年間スケジュールなどを決めて生活しているということを初めて知った。 入寮当初は新歓パーティーがあったり、寮自治会のこれまでの歩みや施
10 生死を賭した闘い 「ガンとの闘いは病気との闘いもあるけれど、自分の納得のいく治療をしてくれる病院を探し、自分が信頼できる医者と一緒に闘える環境を作ることなんや」 安岡は自分が話した言葉の意味を、急に改まったような態度で、みんなに説明し出した。 自分が今入院しているN病院や医者の評価はああだ、こうだと説明した。自分の命が関わっているだけに、その説明は具体的で詳細でなにより真剣だった。 癌が治るか治らないかとか、どんな治療法があるのか、といった説明をするのだろうと予