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学生寮物語 12

12 地獄のハイキング
 「ねえ、みんなでハイキングに行ったの覚えてる?」
 今度は元女子寮の同級生から話が飛んできた。
「とっても楽しかったわ。でもあんとき男子寮生はたいへんだったんだよね」
「そうや。死ぬかと思ったわ」
と金城は答え、おいどんはうなずいた。
 このエピソードも翔(かける)もよく覚えている。
 寮の二大勢力、金城が所属する文化局とおいどんが所属する食堂委員会が執行部ともいえる運営委員会を押しのけて、初めてタッグを組んだ。それが「ランチつきハイキング」だった。
 食堂委員会でおいどんが男子寮に奇襲をかけ、男子寮の朝食摂取率が向上し、驚きの成果を上げ始めていたころだった。金城たち文化局員たちも心穏やかではなく、快進撃の食堂委員会に負けじと、知恵をひねった。
 まずは「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と文化局員の誰かが謳い、健全なる肉体の育成はなんてったって有酸素運動だと誰かがいって、「ランチ付きハイキング」なるスペシャルプロジェクト(特別企画)を産み出した。
 朝食をろくに摂らない寮生である。このような健全なプロジェクトに直ちに賛同するわけがなかった。だから文化局員はランチ付きという「おまけ」をつけた。アメとムチ理論である。ただしその実行のためには食堂委員会の協力が必要だった。だからライバルでもあった食堂委員会としぶしぶ共催になった。
 なにがしかのメリットがないと人は動かない。ましてや寮生は食べ物がないと油さえ売らなかった。
 寮前の小さな森が色を濃くし、グレーの空間にくっきりと浮き立って見え始める初夏の頃だった。
 食堂委員会は「食べることなら任せな」とばかりに食費から昼食代を捻出し、米を買った。おかずは地元の魚屋を値切って買ったシシャモで箱買いした。値切りは食堂委員会の特技でもあった。
 ハイキング当日は休日で寮食堂も休みだったので、夜が明ける前から食堂の厨房でご飯を炊き、握り飯を作った。新潟はコメどころなのでミイラ男西田安俊も手伝った。彼はいろいろ講釈を垂れていたが、食堂員会は彼を決してガス台に近づけなかった。
 食堂は朝からお祭り騒ぎだった。脂がのったカラフトシシャモは食堂中にもうもうと煙を吐いた。
 ハイキングでは鎌倉へ行った。目的地やコース、所要時間やレクリェーションのプログラム、写真の撮影場所まで細かく文化局が立案した。こういう細かい作業は金城と女子寮のOL出身、吉竹凛空(りく)をおいて他にいなかった。
 ミイラ男西田は写真撮影も担当した。
 彼はカメラが趣味で高価なカメラを持っていた。腕も確かで、後にその技術を見込まれて全寮連(全国寮自治会総連合)の専属カメラマンにもなった。人には何かしらの取り柄があるものである。
 出発前、金城の計画は完璧だった。
 鎌倉駅から江ノ電に乗り換えた。寮生たちは、
「私、初めて乗った」
「海が見えるし、景色がいいね」
「いや家が近い。ぶつかる、ぶつかる」
「んなわけ、あるか」
「ヒャッホー」
などとギャーギャー騒ぎながら由比ヶ浜に向かった。
 由比ガ浜の海岸ではビーチバレーや追いかけっこをした。
 みんな童心に戻っていた。
 寮生は基本的に田舎者である。北は北海道の池田町、南は九州の熊本阿蘇からで、東京にいちばん近いのが静岡県N町の翔というのだから仕方がなかった。
 海を始めて見て興奮する者(初めて見る者がいるのもとても珍しい)や故郷の海を思い出して懐かしんでいる者。海を見ると反射的に黄昏れる者。海に行くと必ず貝をやたら探し回る者。海辺の砂に自分のアートを描こうとする者。犬のように本能的にただ穴を掘る者。
 由比ヶ浜には様々な人間模様が出現した。
 浜を滑る潮風に刺激され、白い砂浜で若いエネルギーを発散させた寮生は十分にお腹を空かしていた。食堂委員が眠い目を擦りながら作ってくれた昼食を、潮風をおかずにみんなで頬張った。
 男子寮生は女子寮生の食べ残しにも目を光らせていた。大量の昼食は見事に食べ尽くされた。みんな満足そうな顔をして、次の目的地である長谷寺に向かった。
 みんなでハイキングの盛り上がりを祝して、鎌倉の大仏をありがたく拝みに行った。
 長谷寺に到着し、大仏様の前で、みんなで記念写真を撮ることになった。ところがなかなか人が集まらなかった。男子の数名がトイレから帰ってこないのである。一人が帰ってきたら、また一人がトイレに行った。三十分ぐらいしてやっと撮った記念写真であったが、後で見ると何名かは蒼白な顔色でせつない面持ちで写っていた。
 やがてみんなは事態の異変を感じて、急いで寮に帰ることになった。途中、何度もコンビニや公衆トイレによりながら。
 どうも生焼けのシシャモが数匹あり、それにあたったらしかった。それが不思議なことに男子寮生の五、六名だけで、そのほとんどが新入寮生だった。先輩寮生のようにまだ胃腸が鍛えられていなかったのだろうか。そんなばかな……
 最悪なことに食堂委員のおいどんや文化局の金城という企画の中心人物が犠牲者だった。
 帰ってから、翌日の夜まで男子トイレは満室状態が続いた。中には熱を出して唸っている者もいた。だが翔は無事だった。
 この企画を契機に、ライバルのように競い合っていた食堂委員会や文化局はお互いの活動をよく理解し、互いを尊重して活動するようになった。まさか食あたりで「同類相哀れ」んだわけではないだろう。
 そして彼らは今まで寮の活動に参加しなかった寮生までも
巻き込んで活動した。
 寮の自治会は全員加盟制だった。だが活動への参加は強要せず、自主参加を原則とした。
 ピュアな精神、というより単純な新入寮生たちは、寮にいる人間を誰一人として放っておけなかった。
 おいどんの階段ダッシュと「朝食呼びかけ運動」や金城の陽だまりのような企画などによって、それまで寮の活動に消極的だった寮生たちはいろいろな行事に顔を出すようになった。誰かが声をかけてくれるのを待っていたかのように。
 新入寮生たちは停滞していた寮の活動に様々な新風を吹き込んだ。寮の先輩たちは驚きと好奇の表情で観察していた。そして寮の仲間として快く迎い入れた。
 
 

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