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学生寮物語 18

18 非行少年 
 翔たちが見舞いに行って、三月も経たないうちに安岡は息を引き取った。52歳の早すぎる死だった。
 安岡の住んでいた名古屋駅の近くの市営葬儀場でお通夜が営まれた。お通夜では急遽第三十代寮長として、第三十五代寮長の安岡孝之の弔辞を翔が読むことになった。
 翔は急いでメモとペンを葬儀場で借りて、弔辞の下書きを作成した。お通夜までは2、3時間しかなかった。
 下書きをしながら実の弟のような安岡の屈託のない笑顔や悪戯な仕草が目に浮かび、翔の目からは涙が勝手にこぼれた。
 下書きを終えて、お通夜までにはまだ時間があったので、翔は寮生たち4、5人で、元遠洋漁業の船長だった安岡の父に息子のことについていろいろ話を聞いた。

 孝之は私が年が往ってからできた一人っ子だったので、とてもかわいがった。目がくりっとして、愛嬌があってかわいい子だった。私は自分が買える者は何でも与えた。
 孝之が中学生になっても自分が長期間、海に出ていたため、会話する機会が少なかった。母子家庭のような家庭状況で、妻は孝之のわがままをだんだんと抑えきれなくなっていった。
 やがて孝之の部屋が子どもたちのたまり場となって悪さを覚えた。そこから絵にかいたように非行に走った。
 妻は喫煙や飲酒、無免許運転などで、何度も高校に呼び出された。途方に暮れた私たちは幾度か警察に相談にいった。妻はその心労がたたって病に倒れた。
 そんな孝之が高校の先生たちの粘り強い指導のお陰で何とか卒業できた。その後、孝之から、
「オレ、東京の大学に行くから」
と聞いて、私たちはほっとした。
 孝之が前向きに進路を考えてくれたことより、正直いえば親元を離れてくれることに安堵した。
 大学生となり、久しぶりに実家に戻ったわが子を見て、ずいぶんと大人らしくなったと感じた。乱暴だった言葉づかいも柔らかくなった気がした。
「何の目的もなく生きていたような子が、目を輝かせて寮のみなさんの話をしたり、いろいろな出来事を楽しそうに話をしてくれました。小さいころの透き通ったような目をしていました。高校生になってからあの子のそんな表情は見たことがありません」
と言って小さく肩を震わせた。
 何度目かの帰郷の時、孝之は、
「おやじ、俺は人の役に立つ会社を起業して、迷惑をかけたみんなに恩返しをする」
と言って、屈託のない笑顔を私に見せた。そして、
「今までありがとう」
と感謝の言葉さえ口にするその姿に私は心で泣いていた。そして大学卒業後、孝之は病気になった妻を約束通り、亡くなるその時まで付きっきりで看病してくれた。
 妻が死んだ後も、わざわざ私の近くに移り住んで、私の世話をしてくれた。

 そんなことを父親は涙を流しながら翔たちに話してくれた。
「始めはなんて親不孝な息子だろうと恨みもしましたが、本当は心根の優しい孝行息子だと分かって私は幸せでした。同時にもっと他の子どものように親に甘えたかっただろうと思いました。だからもう少しでもいいから、孝之と一緒に暮らしていたかった」
と言って、また肩を大きく震わせた。
 そして、
「よくぞ息子をここまで一人前にしてくれました」
と安岡の父親は何度も何度も翔たちに頭を下げて、ありがとうとお礼を言った。
 でも、本当は生きている内に、自分の息子に礼を言いたかったに違いない。
 安岡にとって入寮したことが人生の大きなターニングポイントだった。
 真実の道を探し、本気で生きようとする若者たちの、打算のない人間関係でしか得られないものがあったに違いない。
 寮生たちはいろいろな悩みを抱えていた。
 長く生きられないと分かっている寮生。
 いろいろな障がいを抱えて困難な道へ進む寮生。
 被爆二世として不安を抱えている今を生きる寮生。
 今なお封建的な差別と闘っている寮生。
 出生の秘密を抱えている寮生。
 寮にはいろいろな社会的弱者が大勢いた。
 でもみんなほんとうに明るかった。恐れることなく、なんにでも挑戦しようとする気概を常に忘れなかった。そんな寮生を見て、自分の不幸を他人のせいにして虚しく生きることよりも、人に尽くす幸福感が自分の使命と安岡は知ったのだ。
 その時から彼の人生は光を放ちながら輝き始めたのだろう。だから死を目前にして、かつての仲間たちと会える機会を得て、最後の命を燃やし尽くしたのかもしれない。
 翔は下書きに安岡の父から聞いた話を付け加えて弔辞を読んだ。

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