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学生寮物語 17

17 奇跡の大逆転
 相手の攻撃の流れは止めた。
 だがまだ得点ができない。
 いよいよコールドゲームが成立する5回表の攻撃が始まった。
 N中の本当の武器は打撃だった。どんな劣勢も跳ね返すことができる強力打線を有していた。
 もともと足が速い選手が少なかった。でも腕力と体重(失礼!)だけは人にあげたいほどあった。
 毎日素振りとティー、トス、フリーバッティングを朝練や放課後の練習で繰り返した。冬には軍手をはめてバットを振り続けた。一冬越えてエースM以外にも、ややスマートになった強打者が揃った。
 練習試合でも盗塁、バントのサインよりエンドラン、ヒッティングのサインが多かった。練習でも逆方向へのチームバッティングができつつあった。
 初球から甘い球を確実に捕らえることができれば大量点を奪える。そのために必要なことは何か。選手たちに再確認をした。
 練習で取り組んできたことなので選手たちには伝わっているはずだ。
 翔は一つ一つ確認するように話した。
 「一つはここまでの打席での相手投手のストライクの軌道をしっかり思い返すこと。二つ目はその軌道に対して自分のスイングをイメージすること。そしてとくに大切なのはタイミングだ。振り遅れている者は早めに軸足に体重を乗せておくこと。バットは振ろうとするな。最短距離でぶつけるんだ」
 これらの事柄は長い間、マシン相手に取り組んできたことでもあった。
 「失敗を恐れず、ストライクならば初球から振り切ってこい。甘いストライクを見送る方がきっと後悔するぞ」
 当てにいけば相手の球威に負けてフライになる。勇気をもってスイングしたなら、たとえ結果がダメでも次のバッターにその気持ちをつなげることがきると翔は思った。
 先頭打者は1番の左打者Wだ。エースMと小学校のソフトボールチームから一緒の仲間だった。打撃のセンスが高かった。Wはいわれた通り、ストライクボールを思い切ったスイングでセンター前に弾き返した。
 点差はあったが走者となったWが盗塁の構えを見せ、1球ごとにスタートだけを繰り返した。そして相手の二遊間に2塁のベースカバーを意識させた。そのため一二塁間と三遊間が開きヒットゾーンが広がった。
 2番の左打者のSはその三遊間を狙って流し打ちをした。相手のショートが追い付いたときはすでに1塁を駆け抜けていた。
 Sは小柄だったがチームきっての俊足で、少しボールが高く弾んだだけで内野安打になった。だいたいN中ソフト部は足が速いと左打者、むだに力が余っている者は右打者だった。
 ノーアウト1、2塁、ランナーは二人とも俊足だ。足が速い選手が少ないN中にとって、願ってもないチャンスだ。
 ここからは強力打線のクリーナップだ。
 3番で左打者の3年生エースのMはアウトコースに的を絞り、レフト線にタイムリー二塁打を放った。無死2塁でチャンスはなおも続いた。
 4番右打者のAはピッチングで力を出し尽くしていたのかあえなく三振した。しかし5番左打者のUが左中間にヒットを放ち、2塁ランナーを還した。この回クリーナップは3点を還した。サインはヒッティングだけだった。
 5回裏には疲れの見え始めたリリーフのAは1失点したがチームのみんなの表情は柔らかい。その雰囲気の中、2年生エースNが再登板した。
 コースは狙わず、ど真ん中めがけて全力投球をした。力みは見えなかった。地面を蹴り、身体をしなやかに使い、ピッチャーズサークルの前方の空間に美しい大の字を描いた。躍動感あふれる自分のピッチングを取り戻した。
 6回には4点を奪い7対8と一点差に迫った。
 2年生エースNのストレートは回を追うごとにスピードを増し、相手打者はバットに当てるのが精いっぱいだった。逆に相手投手のストレートはだんだんと勢いを失い、際どいコースがボールになり、ランナーを貯めた。
 そして最終回となる7回には決定的な3点を奪ってついに逆転した。もう誰もN中学校を止めることはできなかった。
 ついにソフト部は県大会の出場権を得ることができた。
 決勝戦は3年エースが先発し、持ち味でもある打たしてとる巧妙なピッチングを見せた。バットを振り回すのが大好きなN中ソフト部の選手たちは早々に相手投手を打ち崩し、大勝した。
 この地区大会で、彼女たちはあきらめないことの大切さを知り、仲間を信じることが奇跡を生む力になることを身をもって体験した。
 県大会ではエラーで失点し、相手投手を打ち崩せず1回戦で敗退した。N中ソフト部らしい 戦いだった。
 帰りのバスでは涙はなかった。むしろみんな清々しい表情をしていた。
 だが顧問の翔だけは、「ソフトボールは野球と一緒で、投手を含めた守備がやはり重要だ」とつくづく感じていた。

 

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