学生寮物語 20
20 長雨(ながあめ)
降り続く雨の中、帰りの新幹線は名古屋駅を出発したが、大雨洪水警報であっけなく運転停止になった。
翔が大学を卒業した5年後に発売された「青春18きっぷ」を思い出した。正式名称は「普通列車普通車自由席用乗車券」という。5回(人)は自由に列車に乗れる優れものだ。けれどこんな名前じゃ誰も買わないだろうなと思った。時間があればどこへでも行けそうな「魔法のキップ」だった。「青春18きっぷ」、なんて心をくすぐるネーミングだろうと思った。
けれど世の中はそうしたのんびりとした旅をする鈍行列車よりも高速列車を求めた。大正ロマン電車ではなく、夢の超特急。より速く、より緻密で、より精密な新幹線が鉄道の主流となった。
しかしその繊細さが天変地異を敏感に受け止め、結局各駅停車の鈍行よりも遅れて到着させることもある。今回も新幹線で二時間程度の予定が三倍以上かかり、夜明け前にやっと三島駅に到着した。
お通夜の朝から降り続いた雨は、夜雨(よさめ)となり、暁雨(ぎょうう)となり、夜来(やらい)の雨となった。翔たちは駅で長時間タクシーを待ってやっと帰宅した。
翔はこの日、夏季休暇を取得していたので、まずシャワーを浴びて、それからゆったりとベッドに横になった。すぐに眠りに落ちた。思ったよりも心身は疲れていたのだろう。妻のさくらも同じようにシャワーを浴びて、自分の部屋に入って寝た。
翔は少し寝るつもりが夕方近くまで寝てしまった。これじゃ夜は眠れないなと思った。さくらはすでに起きて夕餉のの支度をしていた。
翔はリビングのテーブルにパソコンをおいて、自分が在籍したA大学学生寮について画像検索してみた。
すると懐かしい寮の姿が飛び込んできた。
だが、その二枚の写真はわざとなのか薄暗いモノトーンの色調のものや薄暮の蒼白な色合いに浮かぶ幽霊ホテルのような映像だけだった。かつて学生が住んでいたという息遣いは全く感じられなかった。
おバカな学生たちが寮を幽霊屋敷にして遊んでいた。歪んだ自己顕示欲に翔の悲しみは深くなった。
学生寮は大学が創立した1966年に一緒に建てられた施設だろう。だから40年は経過している建物である。劣化も老朽化もしているだろう。
だが廃墟のようにみえるコンクリートブロックの虚しさよりもたくさんの寮生を見守り続けてきた場所として感謝の気持ちの方が強かった。写真を見ているとそんな施設を誰もいたわってくれない寂しさと哀れさに涙がこぼれそうになった。
画像検索をやめてウェブ検索に切り替えた。
いろいろググっていたら、7年前ほど前の2001年に卒寮したという女性のブログを発見した。翔より23歳も年下だった。
彼女はA大学の偏差値が大幅に下がり今や〇〇になり下がったと書いて嘆いていた。そしてA大学卒業を隠したいと冗談めいて(真剣にか?)書いていた。
翔は先輩として彼女に伝えたかった。
そんな世間のくだらない価値基準が、今の世の中の腐った学歴社会を生んでいるということを。数字信仰の日本人の危うさはそこら中にある。
学校現場でもPISAの結果が出るやいなや、成績が前より下がった、先進国の平均点以下だと世間の批判を浴びて、あわてて詰め込み教育が復活した。世間といっても政財界である。教育の研究者でもなければ現場の教師でもない。
その結果、教員の持ち授業時数は小学校では週25時間以上あるらしい。中学でも翔が勤務している中学校でも20時間は下らない。
教師たちは毎日多忙で、生徒の話をじっくり聞く時間がない。ほんとうに大切なのは記憶偏重の知識の量なのか、生徒の豊かな感性や人間性なのか、責任者出てこい! と叫びたいと思っている。
今までの「ゆとり教育」の成果と問題点をしっかり研究分析したのだろうか。
毎日、小学校の担任は子どもたちの前で5時間もプレゼンテーションをやっているのである。ただそばにいるだけではないのだ。政治家は子どもらに飽きさせないで5時間も演説を続けることができるだろうか。
数字の根拠も検討せず、その印象から生まれた森だけを見て、血が通う一本一本の木を見ようともしない偉そうな人間に振り回されていはいけない。
A大学の卒寮生として堂々と胸を張って、自分の生きざまを見せてほしい、と彼女に伝えたかった。