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学生寮物語 19
19 弔辞
翔は一度目を閉じ、深呼吸をした。そして原稿を読み上げた。できるだけ淡々と感情にとらわれずに。
あなたが高校生の頃は手のつけられないやんちゃ坊主だったと今日初めてお会いしたお父さんから聞き、寮生一同少々驚きました。
少々というのは、実はあなたの振る舞いからそのやんちゃぶりがうすうす推察できたからでした。
それは運命としか思えないA大学学生寮に入ったときから始まりました。
あなたは同期の誰よりも、4、5日早く入寮し、面倒見のいい金城君の部屋に棲み付いていました。
初めの2日間は関西訛りの標準語で敬語を使い、謙虚に振舞っていました。しかし、3日目からもろ名古屋弁でのタメ口で、寮生よりも寮生らしい雰囲気を醸し出していました。そして、同期の新入寮生に対し、いろいろ指図をして、いつのまにか寮を仕切っていましたね。
わがままで自分勝手なあなたは、きっと親御さんたちを苦労させてきたことでしょう。しかし、その苦労を引き継ぐ勇気ある伴侶に恵まれたあなたは本当に幸せ者でした。
K市と言いながらK村のような山奥にある寮で春夏秋冬を過ごし、寮生の生活を体験したあなたは日一日と目を輝かせ、見えない敵に目を凝らし、受け身だった生き方を変え、人のために生きることの幸せを自覚していきました。
2年生になり早くも寮長として、生きる権利を熱く語り、寮生の先頭に立って奮闘してくれましたね。それはまるで自分の埋まらない寂しさを紛らわすかのような激しさもありました。
ときどき疲れを癒すかのように、私たち4年生の部屋に来て場を荒らし、好き放題をしていくあなたを誰も憎めませんでした。それはみんなが寮生のために身を粉にして尽力するあなたの秘めた優しさを知っていたからです。自分を成長させたい、人を幸せにしたいというあなたのあせりにさえ似た気持ちを皆、感じていたからです。
われわれ48年度生が寮にこだわり、寮自治会にこだわった熱い気持ちをあなたは真摯に受け止め、引き継いでくれました。ありがとう。48年度入寮生を代表して、衷心からお礼を言います。
しかし、あなたの本当の苦しみを知っていたのは鈴子さんでした。自分の悩みだけでなく、あなたの悩みさえも一人で背負った彼女は、寮生たちがお見舞いに来た時も気丈に振舞っていました。
その時、あなたも苦しい素振りを見せず、ガンとの闘いの中間総括をしてくれましたね。どんな敵にも怯まないあなたの勇気を感じさせてくれました。
寮の歌集である「どらごえ」を「ぼっさく」なるまで肌身離さず持ち歩き、本当に寮を愛していたことを思い知らされ、胸が熱くなりました。
こんな若さで、こんな熱い情熱を持ったあなたとのお別れは本当に辛く思います。この込み上げる思いは言葉に尽くせません。
でも、われわれは決して忘れません。あなたのような素晴らしい後輩がいたことを。
寮でみんなで歌った懐かしい曲を口ずさむ度に、あなたがよくお土産に持ってきた「ういろう」を食べるたびに、あなたがかっこよく指に挟んでいたショートホープを見る度に、安岡孝之君、きっと君を思い出すでしょう。
あなたも天国から優しかった親御さんやご家族を見守ってください。そして、誰よりもあなたを愛し続けた鈴子さんを見守り続けてください。
最後にあなたの仲間であり、兄弟だったわたしたち寮生たちを寮長の時のように見守ってください。
A大学学生寮生の誇りと愛着を持って、わたしたちは君を忘れません。
20××年、8月24日(日)
48年度寮生代表、第30代寮長 松永翔
翔の弔辞は途中から言葉にならなかった。
弔辞を読んでいる途中で、安岡の遺影を見、その横に飾られた結婚を祝う会の新聞を見たのがいけなかった。
翔はしゃくりあげながらも、声を絞り出して、読み続けた。最後は咆哮するかのような声になった。
後輩の弔いの役目を果たさなければならないのだ。そう自分に言い聞かせて、最後まで弔辞を読んだ。
途中からしっかり読めなかった気恥ずかしさを胸に抱えて席に戻った。そんな翔を元寮生たちは無言で「おつかれさま」と見守っていた。翔も少し気分が落ち着くと、じっとガラス窓を打つ雨の音に耳を傾けていた。
この日は朝から雨が降り続いていた。地雨のように降りやまず、地面も建物も黒く覆ってしまいそうだった。
静岡の富士宮に伝えられる話で、「虎が雨」と言って七月初めに降る長雨がある。
曾我兄弟が討たれた日に、兄の曽我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)の愛人である虎御前(とらごぜん)が流す涙だと言われている。
今日のこの雨も、きっと志半ばで倒れた愛する人を弔う鈴子の涙雨かもしれないと翔は思った。
お通夜が終わって帰るころになっても雨は止まず、ますます激しくなるばかりだった。