個人の存在という芸術
1300字程度
1/2 25:00
新年明けましておめでとうございます。
辰年に倣い、皆々様方の意志が昇龍の如く成就されゆくよう、心よりお祈り申し上げます。
年明け初日、昨年から気になっていた喫茶店、ミュンヒに行ってきた。
詳細は追々記す予定。創作珈琲提供者との契もあるため。
小論 個人の存在という芸術
今という私が存在する時間と場所において、できることは限られている。その時々の体力(五体、脳、精神)・気力値やスケジュール管理、知覚環境などによりできるできない・優先度が変わる。
前記事でふわっと少しだけ記したが別の観点を追記すると、ギターからカメラに移行したこと、カメラから読書、記述とカタチを変えていっているのは一周まわって上向きな渦を巻いていき、芸術という個性の表出を高めることであり、芸術=人格から溢れ出た多次元的果実だ。人格形成により社会への還元度は高まる。一芸術、一社会奉仕という個々、もしくは具体的な還元は正道だが、この現代において最も認識されるべきは個々人という他者存在自体が芸術であるということだ。
ある人を好き・嫌い、無関心、非認知となんであれこの世界は成り立っている。個々人に焦点を当てれば個々の物語や志向する未来があり、自分との共通の趣味があったり、遠い親戚だったりする。そして俗にいわれる意味の仕事という言葉では、個性同士の付き合いはあまりなく、社会的見栄えに比重がおかれている。誰にでも立派な豊かな個性があり、建前と本音どちらで接しても大差無い。
芸術作品や会社の業務といった成果物、もしくは言動でその人を判断するのは具体的見方(ある種の概念)に囚われており、その人がそこにいるだけで雰囲気が和らぐとか身が引き締まるということがあるように、ノンバーバルコミュニケーションという語に集約されるが、何もせずともわかる人にはわかる。それは存在としての生きた芸術だろう。
雑記
半年前からホームページを構築中で、21時からやっと本格的に進み始めた。どの段階でも情報量が多くつかれる。気持ちのいい疲れではあるが、ずっと頭の中のファンが回っているので一休みにこの記事を投稿することとした。といってここに書き連ねることもホームページ製作よりマシという程度。
私はこのnoteに記事を書き連ねることに結構時間がかかるほうだ。在学時、講義終わりのレポート提出は誰よりも最後に提出するほうで、何をするにせよスロースターターだ。最近わかったことだが、どうやら観察と思考それぞれ平均的な人よりだいぶ時間をかけるほうで、行動が遅くなる。武道に触れていなければ今と比較にならないものだろう。
頭を冷やすために思い浮かんだことを無心にただ書き記す雑記のつもりでこの記事を書き出したがもう27時になる。1000字程度も書けば雑記として満足なのでここで書き終える。
微回復した気がするが少し横になろう。
朝を迎えれば9時から神事があるし、辰の縁起を担ぐなら辰の初刻8時には詣でたいところだ。
27:30追記訂正
振り返らず駆け足で記述してるので語や意味の誤用が多々あるだろうが、公・民間研究でもないのでビッグデータ管理・使用者には迷惑をおかけすることになるが、まあたまには推敲せずそこまで責任を負わなくてもいいかとおもい、一寸お詫びを追記する。
2024/1/5 追記
参考になるもの
横澤一彦監修 三浦佳世 川畑秀明 横澤一彦著.シリーズ統合的認知第5巻 美感 感と知の統合.勁草書房