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かおり
2024年6月30日 01:10
JR久留米駅前にある臨済宗寺院。それが梅林寺だ。久留米駅前には「悠々梅」の樹がある。梅林寺から寄贈されたものなのだそうだ。久留米の観光案内所に行くと、梅林寺=梅の名所とある。太宰府天満宮では梅の木がわからずにいたのに、久留米駅に来て、沢山の梅の木に青い梅の実を見られるとは。ううむ。JR久留米駅のすぐ裏手、筑後川べりの丘に堂々たる伽藍をみせているのが、臨済宗妙心寺派の梅林寺です。九州の代表
2024年6月28日 00:20
福岡旅行を計画して知った事が多すぎて、 スマホじゃないが「ストレージが足りません」状態に。要するに!頭の容量の限界が近いのだ。ヤバイよ、ヤバイよ。と、ここ臨済宗妙心寺派聖福寺は、臨済宗の祖・栄西禅師が開祖した日本初の禅寺である。ええええ!臨済宗って京都からじゃないんかーい!聖福寺(しょうふくじ)は、福岡県福岡市博多区にある臨済宗妙心寺派の寺院である。栄西創建で、日本最初の本格的な禅寺
2024年6月27日 11:48
2年ほど前の事。仕事場に捨ててあった湯島天満宮の合格御守。イヤイヤ、これは成就したなら返さなあかんやろ、と湯島天満宮に行ったのが、私が天満宮、菅原道真公にハマったきっかけかもしれない。菅原道真公といえば太宰府!何故か、太宰府天満宮に行こうと思い立ち。時間もあるからと立ち寄ったのが、観世音寺、そして、戒壇院だ。筑紫戒壇院は天下三戒壇の一つとして、大和の東大寺、下野の薬師寺の戒壇とともに知ら
2024年6月26日 01:58
あくまでもメインは太宰府天満宮。時間に余裕があるから、先に他の場所にも行くか。そんなお気楽な気分でパソコンでGoogleマップを閲覧。そこで、太宰府駅から徒歩圏内の観世音寺にと計画を立てたわけであるが、旅の直前に読んだ五木寛之先生の「百寺巡礼」シリーズ。九州での寺院にしっかりと紹介されていたのである。新幹線の中で予習する。何々?数多くのお寺を廻った五木寛之先生絶賛の仏像群ですと! 観世音
2024年6月24日 00:52
東長寺(とうちょうじ)は、福岡県福岡市博多区にある真言宗の寺院。九州における真言宗九州教団の拠点寺院(別格本山)である。山号は南岳山、正式名称は東長密寺である。博多旧市街にある寺院の一つ。『筑前国続風土記』によると、空海(弘法大師)が唐での修行を終え帰国の途につき、大同元年(806年)10月に博多へ帰着、翌年4月末まで博多に滞在したと記されている[1]。滞在のおりに、密教東漸(とうぜん[注釈 1
2024年6月23日 15:41
身代り不動尊で全国的に知られています千葉県の大本山成田山新勝寺から御分霊を招請して開山、「宝石開運門」建立についで、救世慈母大観音像(総工費20億円)が建立されています。 この大観音像は、高さ62メートルの鉄筋コンクリート造りです。 眉間の白毫は30センチの金の延板上に、3カラットのダイヤモンド18個が、また、胸の゙蕫竄には水晶と眷翠(56個)を配し、13メートルの幼児を抱いています。 胎内は螺旋
2024年6月15日 17:49
圓融寺の本尊は、「恵心僧都(えしんそうず)」の作といわれる像立26㌢の「聖観世音菩薩」である。現在は圓融寺の本堂に安置されているが、かつては「岩井堂(観音堂)」に安置されていた。圓融寺本堂から出て山沿いに行き、300段余りの石段を約30分上ると朱色の豪快な舞台造りの岩井堂がある。京都の清水寺を模した舞台に立つと周囲の雄大な景色が一望できる。その昔、弘法大師がこの地に「巡錫(じゅんしゃく=僧が各地を
2024年6月14日 00:36
大渕寺の観音堂は、明治・大正と二度にわたる大火災で観音堂を全て焼失した。その後、本堂と観音堂を兼ねた仮堂として再建されていたが、平成8年(1996年)裏山を切り開き、三間四面の「月影堂(観音堂)」が再建された。本尊は「聖観世音菩薩」で、微笑んでいるようにみえる聖観音像である。昔、「宝明(ほうめい)」という名の行脚僧が、この影森の地で病に倒れた。そこへ訪れた弘法大師は、宝明からの病の話を聞くと、聖観
2024年6月13日 22:31
瑞龍山「法雲寺」は、臨済宗建長寺派の寺院で、開創は13世紀中頃の鎌倉時代である。本尊は「如意輪観世音菩薩」で木の坐像、像高約40センチメートル、唐の第9代帝王「玄宗(げんそう)」の作と言われている。皇帝が戦場にあって楊貴妃の冥福を祈り、観音の御心にすがる真情がうかがえて、美しく尊厳に満ちたものである。観音堂は六間四面、唐様の方形造り、過去帳に元和(げんな)元年(1615年)の建立とされている。この
2024年6月12日 23:10
円通寺の縁起は、応栄2年(1395)に村の人々が地蔵堂を創建したことから始まります。弘治2年(1556)9月5日、照月禅達和尚により開基。当初は、圓東寺と称していましたが、慶長2年(1597)の太閤検地に伴い、自由山圓通寺と改称。境内の樹齢200年余りの桜は、近在の人々を楽しませています。こちらの枝垂れ桜が有名で、あーー、又来る季節を間違えっちゃったよ。であるが。ここ円通寺さん。Googl
2024年6月7日 01:03
雨も降りそうであったし、今日は行くのは辞めようか?などと悩みながらも駅から近い!と、参拝したのが、こちらの真言宗寺院である。当寺は泉涌山医王院と号する真言宗室生寺派の寺院です。本尊は薬師如来立像で、杉並区内では珍しい平安時代末期(12世紀前半)に造立されたものです。開創は、明治10年の書上げによると承安2年(1172)とされ、開山は寺伝によれば龍観和尚(明応2年(1493)寂)と伝えられてい
2024年6月2日 00:08
水戸駅から偕楽園までの一帯。事前の検索での簡単な感想を言うと、「神社が多く、目だった寺院はないな」であった。そんな中、ここ神崎寺が水戸駅周辺では一番大きいかもしれない。(私が気づいていないだけであるなら申し訳ない)県都・水戸市は茨城県の中部に位置し、この県の政治・経済・文化の中心地として発展を続けている。那珂川流域の低地と周辺の台地から成り、中世以来江戸氏、佐竹氏の城下町だった。慶長