「誰かがやってくれる」「いつか良くなる」って楽観的妄想じゃ置いてかれる
信じることや託すこと。疑わず待つこと。
どれも時には必要で、それによって結果的に好転することもあるし、それは美学的な描き方をされることも多いかと思います。
これまでそうして生きてきた人達もたくさんいるでしょう。
それで生きていけるのであればそれも間違いじゃありません。
ただ、それだけじゃダメなケースが山ほどあって、それは身近にあるんだということを自覚しておかなければならないこともあります。
様々な仕事、業界業態によっては若手が育たずに(育てられておらずに)衰退、高齢化が起こっています。
一般的に考えれば農業などが代表的でしょうか。
我々縫製の世界もいわゆるそれに当たると思っています。
とりわけ我々の業界では何年も前から課題としてあって、対策が急務であったことは事実です。
実際こういった発信をされている先輩経営者の方もいらっしゃいます。
三重県の縫製工場社長近藤さんのブログ→「日本製って何なの?」
こうして問題意識と課題を持って発信している人もいます。
その一方で、
「我慢していればいつか良くなる」
「生き残れば良くなる」
という風潮が少なからずあったというのも無くはないという体感はあります。というより、そういった方が大半なんじゃないでしょうか。
法律的になんとかなる。
誰かが変えてくれる。
待ってればいつか・・・・・
正直私もこういった考えはありました。
縫製業界自体は若手が育っていないし、縮小していく産業とはいえ時間が経てば若い自分にチャンスが巡ってくる。←こんな意識が少なからずあったのです。
ただ今は、これでいいのか?という気持ちを強く持っています。
前述もしましたが、この「待ち」の姿勢も時には必要で「我慢」も大切なことはわかっています。
しかし、
どこかで他人事のように感じて時間に解決をゆだねようとしてしまうことは現状を何も変えない。
ということもあるのではないでしょうか。
実際、この「待ち」の姿勢は何も生み出しませんでした。
「ただ待つ」というのはどうしても「受け身」になってしまいます。
受注生産という業態になると発注がないと仕事はありません。
言い方が適切ではないかもしれませんが、
「誰かにコントロールされていてもどうしようもない」状況であるとも言えます。
結局振り回されることもたくさんあったし、飼い殺しといっても過言ではない状況に陥ったことだってありました。
ならば、
信じてただ待つ人よりは、
信じられて託される人になりたいと思うんです。
もしいつか、待っていたことでもたらされる恩恵があるのであれば、
ただ待っていてたまたま転がってきたチャンスよりも、必然的に掴んだチャンスの方が意味を持つでしょう。
そう。チャンスを掴む方法も能力もその器も、待ってるだけでは成長してないんです。
その具体的な方法は、何が正解で何が近道になるのかはわかりません。
その答えが簡単にあるのなら教えていただきたいです。
※ただ待ってます(笑)
高めて成長しつつ待つか、ただ待つか。
その決断は誰かにしてもらうものではありません。
自分自身の決断です。
そして行動によって大きく変わってくるんです。
何かを理由にしてやらないことは決して逃げではありません。
ただ、それを疑いもしないのは自分にストップをかけてしまっていることにもなると思います。
そういった意味では何事にも疑いや疑問を持つようにしています。
業種業態が、持っている課題が違っても、どこか当てはまったり、自分に置き換えて考えられることがあるんじゃないでしょうか。
考えるキッカケになれば幸いです。
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