フラニーとズーイ
話の結末に向けて一本筋が通っているようなお話。
説教くささは少し感じるけれど、特にラストシーン近辺を何度か読み直すと「とても大切なことが『説かれている』」と、感激した。
訳者がいうほどに文体のすばらしさは感じられなかった。(「文体」とは少し違うかもしれないけれど、先日よんだ『犬の人生』のオフビート感の方がぐっときた)
そして、兄弟間(今回は兄妹間)の宗教論争といえばやはり「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官」を思い出した。
ある程度ネタバレさせずにということで言うと、ひとつはひたむきな兄妹愛であり、もう一つは、本作の特徴ともいえる東洋哲学的東洋宗教的な言葉を用いるのならば「脚下照顧(照顧脚下)」というメッセージだと思う。(あぁちょっとネタバレ感が出てしまったかもしれない)
ズーイは妹のフラニーに対してまくしたてていくわけだが、彼女の急な変容たるものには少し違和感をいだきつつ、ズーイの兄バディーが肉売場のカウンターで「完璧なまでに伝達可能なひとつのささやかな真実のヴィジョン(ラムチョップ部門)」を得たように、それは前ぶれなく突然おとずれるものかもしれない。
サリンジャーは「キャッチャー・イン・ザ・ライ」で大ブレイクし、その後の隠遁生活を経て本作は書かれたとのことで、それには納得する部分が多かった。
もう一度いうけれど、本作には、ただ日々を暮らしていく中でも大切なことが語られているように思う。はっと気づかせてくれる。自戒。
しかしこれは、5年前や10年前の僕ならば、そこまで響きやしなかったのではないだろうか。歳相応ということもあるかもしれない。
本作では「エゴ」という言葉が繰り返し出てくる。これについて触れると、かなり長くなりそう、かつ収集がつかなくなりそうなのでここでは割愛するけれど、このあと僕は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を再読しようと思うし(1回目に読んだときはそれほど印象に残らなかった)、僕はささやかにここのところ、村上春樹さんが超推奨する名作を片っ端から読んでいる(再読も含め)わけだけれど、それは「ロング・グッドバイ(レイモンド・チャンドラー)」で、いったんは決着の域に達するのではないかと思っている。特に「エゴ」なるものについての(あくまで)観念的な決着。
おもしろかったディテールでいうと、どうやらフラニーとズーイは食事の前に小声で「四弘誓願文(※)」を唱えているらしい(そうでないと食事ひとつできない、とのこと)。仏教や禅やヨーガに関心のある人にも楽しめる作品になっていると思う。
(※本書では「四つの偉大な誓願」と訳されていて、それだけでは何かわからなかったが、ズーイによる解説を読むとぴったりきておもしろかった)
そして訳者が(?)帯に拾い出して掲載している文についても、やや深いところで核心をついているように、本作を読み終えた後で思った。(ぜひ書店などで手にとってみてください)
抜粋したいところはいくつかあったけれど、1か所だけ、最後に紹介して終わりにします。
【著書紹介文(転載)】
アメリカ東部の名門大学に通うグラス家の美しい末娘フラニーと俳優で五歳年上の兄ズーイ。物語は登場人物たちの都会的な会話に溢れ、深い隠喩に満ちている。エゴだらけの世界に欺瞞を覚え、小さな宗教書に魂の救済を求めるフラニー。ズーイは才気とユーモアに富む渾身の言葉で自分の殻に閉じこもる妹を救い出す。ナイーヴで優しい魂を持ったサリンジャー文学の傑作。-村上春樹による新訳!
ところで訳者による解説(長文)もおもしろいけれど、こういうのももしかすると「脇道」なのかもしれない。
https://www.shinchosha.co.jp/fz/fz_murakami.html
うん、やっぱり読書はおもしろい。
(そして上記の紹介文…なんだか勇敢で泣ける!)
(書影と著書紹介文は https://www.shinchosha.co.jp より拝借いたしました)