さよなら、愛しい人
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【著書紹介文(出版社Webより)】
刑務所から出所したばかりの大男へら鹿マロイは、八年前に別れた恋人ヴェルマを探して黒人街にやってきた。しかし女は見つからず激情に駆られたマロイは酒場で殺人を犯してしまう。現場に偶然居合わせた私立探偵フィリップ・マーロウは、行方をくらました大男を追って、ロサンジェルスの街を彷徨うが…。マロイの一途な愛は成就するのか?村上春樹の新訳で贈る、チャンドラーの傑作長篇。『さらば、愛しき女よ』改題。
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レイモンド・チャンドラーによる「私立探偵フィリップ・マーロウ」シリーズの2作目。これは初読。
僕(誠心)は毎日、「今日もマーロウに会える」という気持ちで心が折れそうな日も立ち直っていたように思う。
危険をかえりみず果敢に乗り込んでいくマーロウ、少し怖がっているマーロウ、「ささやかで個人的な考え」をもち個を大切にしながらも、時にダイナミックなマーロウはやはり僕にとってはかっこいい存在だ。市も、警察も、組織ぐるみで、というのは100年近くたった今でもかわらないのかもしれない。
登場人物では、力が強すぎる巨体ムース・マロイ、おばあちゃん2人組(というとなんだか変だが2人ともいい味だしてる、特にミセス・フロリアン)、それから警察官の娘リオーダンとマーロウのやりとりも印象に残った。あとはやたら腕っぷしの強いインディアン。
こうやって見ると、登場人物1人1人の個性が読後、とても印象に残っている。
それこそまたすぐにでも「会いたい」のだ。もういっかいこれを読もうかな…とも思いつつ、次作『高い窓』へ。
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最後に、僕が好きなところをいくつか(他にもたくさんあるけれど)転載します。(ページ数はハヤカワ文庫版にて)
◇
私は立ち上がったが、あやうく向かいの壁に正面衝突するところだった。だから私はまた横になり、とても長いあいだ静かにゆっくりと呼吸をしていた。身体じゅうがひりひりして汗が出てきた。小さな汗の粒がいくつか額に浮かび、それがゆっくりと考え深げに鼻の脇を通り過ぎ、口の端に達した。私の舌はそれを舐めた。意味もなく。
私は今一度身体を起こし、床に足をつき、立ち上がった。
「それでいい、マーロウ」と私は歯の間から声を絞り出した。「お前はタフガイだ。身長百八十センチの鋼鉄の男だ。服を脱いで顔もきれいに洗って、体重が八十五キロある。筋肉は硬く、顎もかなりしぶとくできている。これくらいでは参らない。頭の後ろを二度どやされた。喉を絞められ、半ば失神するくらい銃身で顎を殴られた。薬物漬けになり、頭はたかが外れて、ワルツを踊っている二匹のネズミみたいな有様だ。さて、私にとってそれは何を意味するのだろう?日常業務だ。よろしい、そろそろ掛け値なしにタフな作業に取り組もうじゃないか。たとえばズボンを履くとか」
私はもう一度ベッドに横になった。
再び時間が経過した。どれくらい長い時間かはわからない。時計がないのだ。いずれにせよ、それは時計では計りようのない時間だ。(P271)
◇
ランドールはそれについて検討した。彼としては、その半分だって認めたくはなかった。だから眉をひそめ、デスクをとんとんと叩いていた。
「話をはっきりさせておこうや」、彼はひとしきりの沈黙のあとで言った。「どうしてもこの事件に首を突っ込むというのなら、君は面倒に巻き込まれることになるだろう。今回はうまくその面倒から抜け出せるかもしれない。俺にはなんとも言えない。しかしこの署内では、日に日に君に対する敵意が高まっていくはずだ。そうなると、今後このあたりで仕事をするのはずいぶんむずかしくなるぜ」
「その手のごたごたは探偵稼業にはつきものだよ。離婚専門の探偵でもやっていない限り」
「君らが殺人事件に首を突っ込むことはできない」
「そちらはそちらの言いたいことを言った。それを私は黙って拝聴していた。いいかい、巨大な警察機構がなし得ないことを、腕まくりして一人で片づけてしまおうとか、そんな大それたことは考えちゃいない。もし私の頭にささやかで個人的な考えがあるとしても、それは文字通りささやかで個人的なものだよ」(P341~342)