人の目ありきの世界であってもいいと思う。
昔は、人の目を過剰に気にする自分が嫌でした。
あー、また気にしとる。て自分のことを責めていました。
・人の目を気にして〇〇ができない自分
・人からよく見られたいと〇〇する自分
そのどちらも嫌悪していたなあ。
でも、それはそれでありなんじゃないかな。
とふと、思ったのです。
全ての動機が、よく見られたい。
昔を思い返すと『お母さんに褒められるため』という軸でしか、動いていなかった。。
だからなのか、
楽しい = 褒められて嬉しい感情
というのが、
無意識に持っていた図式だったんです。
そんな自分を振り返ったとき。
でも、いつもなんとなく自分にしっくりこなくて。自己啓発や心理の本を読んだときに
「あちゃー。自分、お母さんや人に褒められることしか考えとらんかったな。本当に好きなこと、やりたいことを、これからはやるようにしよ」
て、思ったんだけど。。
何か新しいことに一歩を踏み出そうとするたびに、立ち止まってしまうんです。
本当にそれがしたいの?
どうしてそれがしたいの?
と深ぼっていくと結局、
よく見られたい。に辿りついてしまうから。
ダンスしてみたい。
→なぜ?
かっこいいし楽しそうだから
→ダンスを始めてどうしたいの?
大きな舞台の上で踊りたい
人前に立ちたい
→どうして?
たくさんの人の前で、
どやって踊るのが気分が良さそうだから。
羨ましいから。
みたいに。
願望をさかのぼっていくと、どこかしらに必ず、
『人目』ありきの理由が入っていて。
無気力。
じゃあ、それはダメだ。と人目が理由のやりたいことは省いて
もっと本気で純粋にやりたいことはないの?て、
自分に尋ねていった。
でも。。出てこなかった。(笑)
人目を気にしない世界、人からどう思われてもいいという世界は、私にとって、張り合いがない世界と同じことだったんです。
何にもできなくてもいい。
何にもしなくていい。
適当でいい。
力を抜いていい。
そんな世界は、ひまだったんです。
人目は、着火剤。
もちろん、人目が100%の理由になってて、自分がちっともやりたくないのにやってたら、そりゃあ辛くなるとは思う。
けれど、
「やりたいと思う自分」があって
+
「これやったらカッコいいって思われそうむふふ」
「あの人にもモテちゃうかもなグフフ」
と、繋がるのならば。
他者の存在を意識することは、ものすごく良い着火剤・促進剤になると思ったんです。
もともと世界はそういう所?
考えてみれば、この地球上に自分ひとりしか人間が存在していなかったら。
・人と比べることもなければ
・言い争ったり、仲直りしたり
・恋をしたり、悲しんだり、
・スポーツで競ったり
・美しさを求めたり
・切磋琢磨したりすることもない。
…。
わりと、暇くないですか?(笑)
もともと人間がたくさんいる世界に生まれてきたのだから、人と比べてしまうことはしょうがないし。
「人の目」発進の願いが生まれることも、当然じゃないか。そもそも地球って、そういう所なんじゃないかなって、思ったんです。ふふ
人間て、いいな。
人と関わりあって、あーだこーだ言って。
やっぱり人にはよく見られたいし、よく見られたら嬉しいし。比べてしまうし、落ち込むこともあるし。
くっそあいつ見返してやる!!ていう時がいちばん、やる気にみなぎったりするしね。(笑)
そういうのがけっこう、人間らしくていいと思うんです。どうせ聖人君子になんか、なれんのだし。
死んだらきっと、もうそういうことも出来ない世界に行っちゃうんだからさ。
人間くさく生きてやろー。
て、思う今日この頃でした。
わしゃ、煩悩のかたまりじゃい。
おわり。
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