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石川啄木:函館市文学館
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
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石川啄木(いしかわ・たくぼく、1886年~1912年)…歌人、詩人。本名は、石川一(いしかわ・はじめ)。
![](https://assets.st-note.com/img/1731485729-KbYJ7xnhEmCdNgkZG2XHpD6F.jpg?width=1200)
画像は、北海道函館市にある函館市文学館。函館は石川啄木が愛した町であり、立待岬には墓もある。
とは言っても、実際に石川啄木が函館で過ごしたのは数カ月。1907年5月~9月までの4カ月程度である。ただ、そのような短い間でも、石川啄木は函館を気に入って、最終的には妻に自分が死んだら函館に墓を作ってくれ、と伝えたほどである。
ちなみに石川啄木は、岩手県盛岡市の出身。盛岡市の日戸(ひのと)で生まれて、渋民(しぶたみ)で育つ。後に盛岡中学校に入学。
盛岡中学校と言えば、石川啄木の友人でもある言語学者・金田一京助(きんだいち・きょうすけ、1882年~1971年)をはじめ、詩人・宮沢賢治(みやざわ・けんじ、1896年~1933年)、俳人・山口青邨(やまぐち・せいそん、1892年~1988年)、軍人・米内光政(よない・みつまさ、1880年~1948年)、画家・松本竣介(まつもと・しゅんすけ、1912年~1948年)などもいる。
凄い学校だな。地元の優秀な人達が通うと言っても、こんなに逸材が出てくるものなのだろうか。伝統的な進学校などは、このようなものなのだろうか。驚きである。
話を石川啄木に戻す。
盛岡出身ということもあり、盛岡市内には石川啄木記念館、啄木新婚の家、もりおか啄木・賢治青春館などがある。まだ石川啄木記念館には行ったことがないので、いつか訪問したい。
石川啄木は、函館の文芸誌から原稿の依頼があり、そこから移住の話につながっていく。1907年5月に単身で函館へ。小学校の代用教員や新聞社の記者としての仕事も得るが、8月に函館大火により小学校も新聞社も消失。新たな仕事を求めて、函館を離れ、札幌、小樽、釧路などを転々とし、最終的に1908年4月に東京へと出る、といった流れ。
先述の通り、函館には4カ月しかいなかったが、函館市内の立待岬に向かう途中には石川啄木一族の墓がある。函館公園内には、歌碑があり、近くには居住地跡も。啄木小公園には石川啄木像もある。
景観も素晴らしいので、色々と巡るのは非常にオススメ。もちろん、函館山ロープーウェイや五稜郭跡、五稜郭タワーも。どの場所も素晴らしかった。特に五稜郭関連では歴史好きな人には堪らないかもしれない。
函館市文学館の話をする。
![](https://assets.st-note.com/img/1731573899-uRfAPnheHO8FNt9pvJkqYZiy.jpg?width=1200)
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