#81 「かつや」のカツ丼と「日本人のしあわせ」の関係
僕は「カツ丼」が大好きだ。ドイツへ来る前は、週に一度は必ず食べていた。なぜか論文の締め切りが近づくと余計食べたくなり、毎日のように食べていた時期もある。そんな時通ったのは、自宅近くにあるとんかつチェーン店「かつや」だ。今日は「かつや」の日常から日本文化の特徴と問題点を考えてみたい。
「かつや」紹介
「かつや」は1998年に1号店がオープンしたとんかつチェーン店で、昨年2022年に店舗数500を達成した。人気メニューの「カツ丼(梅)」は税込594円。しかしクオリティは確かで、冷凍のものを温めるのではなく、注文してからとんかつを揚げ、カツ丼用の薄い鍋で野菜と共に煮込んで卵でとじ、出来立てを出してくれる。常時煮込まれているものをよそって出す牛丼とは、かかる手間が違う。
この値段であの手間とクオリティのカツ丼を出している企業努力には頭が下がる。味は「ベストではないが、十分美味しい」レベル。594円はユーロに直せば3.7ユーロ、フィンランドのレストランへ行けばミネラルウォーター小瓶の値段だ。あのクオリティのカツ丼なら、2,000円〜2,500円あたりが相場だろう。
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ある日の出来事
今年春のある日、その「かつや」でちょっとしたトラブルが起こった。僕が座っていた向かいのカウンターで、客が何やら文句を言っている。
結局、ロースカツ定食は下げられ、おそらく廃棄(ああ、フードロス😢)。客2の注文は新しく調理された。客1は何も悪くはなく、自分の前に店員が料理を置いただけなのだが、客2は客1を食事中何度もにらんでいた。「お前のせいで俺の料理が遅れた」と言いたげだった。店全体が険悪な雰囲気に包まれた。
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新人さん奮闘
その店舗には、調理の手際の良さで明らかにベテランと分かる(調理風景が見える構造だ)パートさん数人と、明らかに学生バイトと分かる彼、そして明らかな新人さんがいる。ここではAさんとしよう。
Aさんが、なかなか危なっかしい。会計をしている最中でも、「お茶ちょうだい」と呼ばれるとそっちへ行ってしまうものだから、会計作業が途中になり、戻ってきた時に計算を間違えてしまう。間違いを客に指摘されて謝っている最中に、「早く注文取ってよ!」と別の客に呼ばれてしまう。Aさんは髪を振り乱して頑張るのだが、業務がスムーズに回っているとはお世辞にも言えない。
日本の外食産業の現状
上の出来事と状態から、みなさんは何を思うだろうか。物価の高いフィンランドのレストランでは、ミネラルウォーターの小瓶しか買えない値段で、揚げたて出来立てのカツ丼が食べられる。隣の客の前に一度置いただけでも、新しいものと取り替えてもらえる。お茶のおかわりはすぐにもらえる、注文や会計の作業は迅速で待ち時間は最小限……
ここで、「だから日本の外食サービス業は素晴らしいんです。どんなに安くても、変わらないおもてなしの心です」というコメントが出るかもしれない。そんな人にはこう聞いてみたい。「じゃああなたはその店で働きますか?あなたの家族や子供がその店で働いていたら、どう思いますか?」と。
彼らのお給料は、もちろん594円のカツ丼の売上金から出ている。アルバイト募集のポスターがいつも貼ってあるが、時給は最低賃金の2割増程度だ。「給料は安くても、最高のサービスを提供する。それが日本の外食産業だ、日本のサービスだ」という発想が、日本の外食産業の暗黙の了解になっている。
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値段に合ったサービス
将来自分で飲食店を経営したくて、そのための勉強として「かつや」に勤めている人にとっては、それでいいかもしれない。スタッフ配置や動線の確保、時間帯による混雑具合の変化と人員配置計画など、学ぶところが多いだろう。しかし多くの人はそうではなく、生活を支えるために働いている。
母親パートさんの場合、家に帰れば子どもがいて、家事もある。最小限の労力で目的の金額を稼ぎ、家ではちゃんと子どもや家族の話を聞きたい。僕はそういう場合は、欧米型の「値段に見合ったサービス」の発想を取り入れていいと思う。
上の例で言うならば、594円でカツ丼を出せているのは、食材の無駄を出さず、スタッフ数もギリギリで回しているから。つまり、「かつや」で食事するということは、「次の条件を受け入れる代わりに594円でカツ丼を食べられる」ことを了解したと考えたい。
そうではないサービスを求めるなら、もう少し価格帯が上のチェーン店か、あるいは銀座の老舗とんかつ店にでも行ってほしい。ちなみに、欧米で「一旦人に出したものなんて、食えるか!!!(店中に響く大声)」をやると、店員は「失礼しました……」と言うかわりに、警備員を呼ぶ。店員に対する失礼な態度と、他の客に不快な思いをさせたという理由で店から追い出される。お客様は神様ではなく、店員と同じ市民だ。
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「文化の違い」 は都合のいい言い訳
こう書くと必ず、「日本と欧米では文化が違う」というミラクルフレーズが聞こえてくる。それを言えば何でも解決と思っている人が多い。しかしそうではない。「働いて生活のためのお金を手に入れ、仕事以外にも大切なことがある」のは文化によらず世界中同じだ。
仕事で常に「失礼いたしました……」と過重な感情労働を強いられていては、生活の質そのものが下がってしまうし、自分が勤務中にそういう態度を受け入れ続けると、今度は自分が客の立場にいる時に店員に横柄な態度を取りがちだ。そこに、感情労働の負の連鎖が起きてしまう。「日本人があまりしあわせになれない」理由の一つはここにあるのではないだろうか。
次そんな客がいたら
僕はAさんを応援している。会計が遅い時は、「ゆっくりでいいですよ」「あのお客さんの注文取ってからでいいですよ」と言うようにしている。例の、「一旦人に出したものなんて、食えるか!!!」の時も、「いいですよ、代わりに僕が食べますよ。急いでいるので、ちょうどいいです」くらい言いたかったところだ。文句を言う人が入れば、そう申し出る人もいる、そんな社会になれば、感情労働の負の連鎖が減り、もっと生きやすい世の中になるはずだ。
年末に帰省したら、また自宅近くの「かつや」へ行こうと思う。
今日もお読みくださって、ありがとうございました🐷🍳
(2023年11月4日)