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2021年6月の記事一覧
木のごとく、きれいな気持ちで
山の中なれば、木にたとえて話せばよくわかる。あの山の木は何十年、この山の木は三十年四十年五十年生えておるというても、同様の木はない。大小いろいろある。
人間も木のごとく、同じ三十、四十の人でも、同様の財産を持ちておる者ばかりはない。
万事、信心しておかげをこうむり、木のごとく、きれいな気持ちで人に尊ばれるような信心をするのがよろしい。山の木の直いのも、人間の気の直いのも、人がみな、ほめて望むわ
生まれたる者は死ぬるということあり
生まれたる者は死ぬるということあり、死ぬるにもいろいろがあり。
百姓の人は、稲麦にたとえて話せばわかる。春、もみを苗代にまき、五十日前後に本田に植えつけ耕作しても、稲は白穂(しらほ)、麦は黒穂(くろほ)になることあり。
それを見て、子供が成長し、縁づき、その本人に子供のできぬうちに死去したのは、白穂黒穂のごとしとあきらめるほかなし。
金光教教典
383頁
山本定次郎の伝え
38
お
一年増しに田畑もよろしくなります
田畑でも、一様の物ばかりはない。上中下がある。なにほど悪い田畑でも、その田畑へたびたび行きて、肥やしをたくさん入れるように心がけておれば、一年増しに田畑もよろしくなります。
信心もこれと同じこと。家業、仕事をし、信心を怠らぬようにするがよい。
金光教教典
382頁
山本定次郎の伝え
37
おはようございます。
「とかく信心は地を肥やせ」との御教えがありますが、そのことをおっしゃっ
年寄りの人を尊ぶのは、神様を敬うのと同じこと
どこの国でも年寄りの人を尊ぶのは、神様を敬うのと同じことである。
人間は自分の考えで先へ生まれてきたものではない。神様が早くお造りくだされたことは、だれでも知っておるが、早く生まれてきた人ほど国のため家のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りの人を敬うのである。
金光教教典
380頁
山本定次郎の伝え
34
おはようございます。
子どもの頃、教会にはおばさんがいました。
教えつつ楽しむがよろしい
子供を叱るのに、狐が来る、こんこ(狐)が来ると、恐れさして行儀(しつけ)する人もある。このように悪いことを言うて叱らぬようにするがよろしい。
子供の時から、子供の心が丈夫でおるように、体が丈夫になるように、教えつつ楽しむがよろしい。
金光教教典
380頁
山本定次郎の伝え
32
おはようございます。
狐が来ると恐れさせて育てると、大きくなって狐がトラウマになりかねません。
それよ
信心して自由勝手にさしてもらう
出産の時、洗い物、汚れ物、不浄になる物は、この所自由を免じてくだされと無礼をお断りし、信心して自由勝手にさしてもらうのが、よほど安心ではないか。
金光教教典
379頁
山本定次郎の伝え
30
おはようございます。
出産の時の洗い物、汚れ物、不浄になる物は、方角をみて捨てていました。
教祖様は、先にお断りをして捨てさせてもらえば安心だとおっしゃいます。
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先にお断りをするとい
産子に五香(ごこう)を飲ませず
産子に五香(ごこう)を飲ませず、神酒神水にお洗米を入れていただかせれば、産毒は取りさばきくださる。
金光教教典
379頁
山本定次郎の伝え
30
おはようございます。
当時、産後に最初に出る澄んだ母乳を、あら乳(あらちち、初乳<しょにゅう>)と言い、毒になるとして捨て、新生児に五香を飲ませる習慣がありました。
五香とは、まくり(海人草)、甘草(かんぞう)、大黄(だいおう)などを