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写真家にのみやさをりのお仕事。
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飛行石

飛行石

娘は三歳になるまでほとんどといっていいほど喋ることがなかった。発するのは、あぁとかいぃとか、まぁまとか、その程度の言葉。この子はもしかして喋れないんじゃないかと心配になるほどだった。
でもそんな、言葉を発しない娘は、代わりに全身で、何かを発していた。声など言葉などなくとも、彼女には訴えたいことがあり、私をひたと見つめる目はだから、いつも見開かれていた。そんなに目を開いていたら目が落ちるよ、と、そう

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見上げた先は

見上げた先は

ねぇママ、どうして空は空なの?
そうだね、誰が空に、空って名前をつけたんだろう?
あそこの雲、ペンギンみたいだね。
あぁ、ほんとだぁ。あ、あそこ見てご覧?
どこ?
ほら、あの樹の枝の先。
あ、ヒヨドリ。ばばの家の近くにもたくさんいるよ。
うんうん、たくさんいるね。あ、あの樹は銀杏っていうんだよ。
ママ、臭いよ。
あぁ、それはね、ぎんなんっていうこの小さな実の、潰れた匂いだよ。
臭い臭いっ。
ははは

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小さな生命がそこに在った

小さな生命がそこに在った

冬を目の前にした晩秋の或る日、私たちはだだっぴろい野っ原に立った。木漏れ日が眩しいくらい降り注ぐ中、あちらをふらり、こちらをふらり。黒い服を着た彼女はとても小柄で細く、足もとても小さかった。
でも彼女の足は、彼女のそのかわいい風貌からは想像がつかないくらい力強く逞しい表情をしており。裸足がとても似合う足だった。

歩くほどに足は汚れ。それでも私たちは歩みを止めなかった。気づけば野っ原を二周りほどは

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覚えているよ

覚えているよ

K町には細かい道がたくさんある。細い細い、くねった裏道が。だからちょっとした散歩にはもってこいだ。
道を歩いていると、様々な音、様々な匂いが漂ってくる。生活がそこに、在ることを、私に知らせる。
それは長屋の、古い古い長屋が二軒並ぶ角っこで。浅黒い顔をした、中年の男が煙草を吸っていた。その煙はゆらゆらと、空にのぼり。
私は何となく、それを見つめていた。まだ朝の早い、時刻。

もう寂れた酒飲場。近所の

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小さな手

小さな手

私は人の手が好きだ。赤子の手も好きだし、すっかり皺だらけになった、年老いた手も好きだ。手の醸し出す表情は、私の心を捉えて離さない。

その手はとても小さくて。世界を掴むにはまだまだ小さ過ぎて。だから私はその手を引いて歩くのが、自分の役目だと思っていた。
それがいつの間にか、私の手から離れ、ちょこちょこと自らの足で歩くようになり。気づけばその手はもう、ぐんぐんと大きくなっており。

あぁ、もう、この

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砂の痕

砂の痕

砂場のある公園は、本当に数が少なくなった。あっても、時間になると網などを被せられ、もう遊ぶことはできなくなる。
そもそも、土のある場所が少なくなった。いや、このあたりではもう殆どなくなった。だから霜柱もぬかるみも水たまりも、殆ど見えない。あるのはアスファルトの、のっぺりした顔。

或る日、娘と一緒に、公園を探しに行こうということになった。引っ越した部屋から一番近い公園は何処にあるだろう。そうして私

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この町最初の散歩

この町最初の散歩

それは離婚して半年、ようやく引っ越し先が決まり、この場所へ引っ越してきて間もない朝。散歩しようか。娘に声をかけた。うん、する。即座に娘の返事が返ってくる。といっても、このあたりのことを私たちはまだ全く知らない。とりあえず、通りに出てみる。
大通りを渡り、知らない街へ、とん、と足を踏み出す。一歩裏手に入った途端、私たちを待っていたのは、くねくね続く細い入り組んだ道だった。
ママ、こっちにも道がある。

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消えてゆくもの、失われてゆくもの

消えてゆくもの、失われてゆくもの

まだ港湾地帯が整備される前の頃。そこには棄てられた家屋が何軒か建っていた。以前は何かしらの事務所に使われていたのだろうその建物たちは、私が訪れるたび横に罅が入り、縦に罅が入り、と、いつ崩れてもおかしくない程に錆びついていった。
それでも何だろう、それはそこに在るものであって。なくなることなど、私には考えられなかった。窓の柵に突っ込まれた塵も、もはやそれはひとつの模様だった。立て掛けられた梯子ももは

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空っぽのゴール

空っぽのゴール

それは小さな小さな、猫の額ほどの小さな公園で。遊具も少なくて集う子供らも少なく。ただ、空っぽのゴールがぽつり、二つ置いてあった。
犬の散歩に立ち寄る老人たちがぽつりぽつり、そこを歩いて過ぎてゆく。休日たまに、ゲートボールをする老人たちが集っているが、ブランコを揺らす子供の姿は、本当に稀だ。

それでもゴールはそこに在って。

だから私は寝そべってみた。砂の上、寝そべって、一つのゴールの下寝そべって

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『週刊金曜日10/20号』【なぜ、性暴力被害者が加害者と対話し続けるのか】byにのみやさをり&斉藤章佳

『週刊金曜日10/20号』【なぜ、性暴力被害者が加害者と対話し続けるのか】byにのみやさをり&斉藤章佳

「近々、週刊金曜日に対談も含めて記事を載せてもらえることになったよ」

いつものようにLINEでにのみやさをりさんと雑談をしている最中、唐突に報告があった。彼女は他人の言葉にはよく耳を傾けてくれるが、自分のことはいつも「何かのついでに」という体で話す。それは彼女独特の「照れ」と「謙虚さ」と、ほんの少しの「懼れ」からなのだろうと思う。根掘り葉掘り聞きたいのをこらえて「そうなの、よかったね、楽しみにし

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『黎明歌』/にのみやさをり写真集

『黎明歌』/にのみやさをり写真集

にのみやさをりさんの写真集、『黎明歌』に、 やっと自分の手が届いた。

この写真集を見るには、 私にはあまりにも、惑いと 目の開かぬ どす黒さと、 日々 翻弄される 涙と、己が 精神に晴明な 両の足が なかったのだ。

まだだ。
まだ、『 黎明歌』はわたしには 遠すぎる。

黒い 表紙に 細い 1本の 白い線。
この決然とした装丁に、 ただ 白い文字で小さく、『 黎明歌』 と記された写真集は、 長

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個展のお知らせ

個展のお知らせ

個展のお知らせです。

6月12日より24日まで(日曜定休日)、東京・代々木のカフェヌックにて個展「Nの肖像~二十代の群像より」を催します。
去年の「Sの肖像」に続いての、今度は「Nの肖像」になります。
N君の二十代を、約10年の間撮らせていただきました。その10年の間に撮り貯めた膨大な数の写真たちから、限られた数ですが、展示いたします。

10年。それは長かったのか短かったのか。振り返ればあっと

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『鎮魂景』にのみやさをり・写真集~肉体と欠落と死と生と~

『鎮魂景』にのみやさをり・写真集~肉体と欠落と死と生と~

にのみやさをりさんの 写真集『 鎮魂景』。
長らく 見る勇気がなくて しまっておいたのだった。

昨日、 橋場あや 先生の『 地上5センチ の歩行』 の中の作品たちから 、声を、 さえずりを、 嘶きを、 絶叫を、 シンフォニーを、 ノイズを、 全身で 受けた この体の切れ目から、 ようやく細い手が伸びた。

そこには非常に、 懐かしい痛みばかりが 広がっていた。

私は椅子の前で動けなくなった。

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