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個展のお知らせ

個展のお知らせです。

6月12日より24日まで(日曜定休日)東京・代々木のカフェヌックにて個展「Nの肖像~二十代の群像より」を催します。
去年の「Sの肖像」に続いての、今度は「Nの肖像」になります。
N君の二十代を、約10年の間撮らせていただきました。その10年の間に撮り貯めた膨大な数の写真たちから、限られた数ですが、展示いたします。

10年。それは長かったのか短かったのか。振り返ればあっという間ですが、その最中は、時に先が見えなくて途方に暮れたり、逃げ出してみたり、耳を塞いでみたり、そういうことも多々あった気がします。
その間に彼は、学校も卒業し、就職もし、結婚もし…。盛りだくさんな二十代だったんじゃないのかなあと、近くで立ち会わせてもらっていた私は、そう感じます。

私は自分の二十代をほぼ覚えていません。二十四の時に性暴力被害に遭い、酷いPTSDや解離を患ったこともあって、記憶が残っていないのです。その場その場を生き延びるので精一杯だった、と言えば聞こえはよいですが、その最中はもう、果てしのない暗闇、底なし沼のような暗闇と絶望を、ただただぶくぶくと泳いで抗っていたような気がします。当時を覚えていてくれている旧友は、私に言います。あまりにひどすぎるから、思い出さなくていいよ、もう。思い出せないのはさ、きっと、今を生きろ、ってことなんだよ。と、そう言葉をかけてくれます。でも、記憶がない、というのは、正直に言えば透明な地面に立っているような、しかもその感触さえ不確かで曖昧な、何とも頼りなく不安なものなのです。
そんな私にとって、二十代の若者たちを追い続けることは、自力では思い出すことの叶わぬ自分の二十代をあれこれ想像することにもなりました。演劇にひた走るS君の横顔を見つめながら、私にもこんなふうに何かに夢中になってひた走る時間があったのかな、とか、家族に対してのいろいろな思いを抱えながらもひとつまたひとつ人生を選択してゆくN君の肩越しに、私にも家族は重くてしんどくてとてつもなく恐ろしい代物だったなぁなんて思ってみたり。
彼ら彼女らの横顔は、いつでもきらきらしていて、眩しいものでした。社会はねじれよじれてゆくばかりなのに、そんな傍らでも彼らの瞳はいつだって、きらきらでした。若さって、すごいな、と、そんな彼らの瞳から私はいつも感嘆させられていました。

人間、生まれたからにはいつか死にます。彼らを追う日々の中、もう一方では私の近くで何人もの知人や友人らが病や老いで先に逝きました。生きることと死んでゆくことと。どうしようもなく隣り合わせで、誰にも避けて通ることはできない。
だからこそ、今ここを精一杯生きて、死ぬときには笑って死にたいよなと、いつも思う私です。

先に向こうに逝ってしまったひとたちの重さを左掌に、右掌にはS君やN君が発するきらきらを乗せて、私は、そのどちらをも見通していたいなぁと思うのです。

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期間中、
12日月曜日、16日金曜日、17日土曜日、
20日火曜日、23日金曜日、24日土曜日、
終日在廊を予定しています。
もしお近くにお越しの際には、ぜひお店にお立ち寄りください。美味しい珈琲を啜りながら、作品と向き合っていただけたら、嬉しいです。

なお、この展示に合わせて作成しました写真集は、会場でももちろん販売いたしますが、会場には行けないという方用にネット販売もしております。ぜひそのお手に取って、私が立ち会ったこの10年という時間を、共に感じていただけたら嬉しいです。


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にのみやさをり
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