見出し画像

心理カウンセリングを受けて6年経った今

過去にやって良かったことの一つに「心理カウンセリングを受けたこと」がある。自分の内面に直視し、心の学び深めることだ。

大きな転機は、フリーランスにふみきる2年前、うつ状態になったこと。それ以前にも、もともと心に関する本やセミナー、講演会にはいろいろと参加していた。

「自分は欠陥している」

「自分は他の人と同じようにできない」

「なぜ普通にがんばって生きているだけで辛いのだろう」

学生時代からこの意識が抜けなくて、この苦痛から逃れる学んで対処法をずっと探していたのだろうと思う。

自分はなにかしら障がいなのか、と思ったけどそうでもない。よくわからなかった。

だから、SNSで見る悲しいニュースや人生への嘆き、諦めは自分ごとのように感じてしまう。(自分のエネルギーが落ちているときは、あまり見ないようにしている)言いたくなる気持ちも、そうした行動を取ってしまうのも、少しわかる気がするからだ。

幼少期が今に与える影響や、陥りやすい人生のパターン、認知の歪みなど、学びを深めて気付いた重要なのが「自分の心に意識を向けること」「自分以外に自分を救える人はいない」だ。

とはいえ、産まれて数十年抱えてできた思考のパターンは、ちょっと心の仕組みを学んだだけでは変わらなかった。

何度となんども、元に戻る。

他者にはなるべくネガティブ過ぎる姿は見せないが、今もトラウマ反応みたいなのが蘇る日もある。

諦めそうになる。

でも、それを前提に今も向き合い続けている。

じっくり自分を直視して、そのままを良い悪いを入れずに事実として受け入れる。

自分とじっくり向き合えるようになると、次は他者が目に入るようになった。外の世界に目を向けると、同じように悩み、苦しみながら生きている人はたくさんいた。

ほとんどの人は自分と一緒なのかもな、と気付いた。なかには、痛みに気づかない人もいる。

いや、どうすればいいのかわからないのだ。わからないことが続くと、人は簡単に病んでしまう。道が見えないと、苦しくなるのだ。

自分を知ることは、同時に他者を知ることになる。

「あの人は、私」

目に入るもの、なぜか心に引っかかる他者の言動はぜんぶ私の要素だからなのだ。

すると、人と関わる際にちょっとした労いの言葉をかけたり、あまり他者の言葉に気を取られ過ぎずに淡々と過ごしたりするなど、6年前よりはうまく他者と関われるようにもなった。

人が怖い、信じられない

という意識から(今もあるが)、ただ、他者をそのまま信じて見守る、頼るなども少しずつできるようになってきた。

心理カウンセリングから6年経った今、そんな感じだ。

あれから、少し自分と他者をそのまま受け入れるようになり、適性や自分の望みを考えてフリーランスに働き方を切り替えた。心に浮き沈みはありつつも、その度合いは小さくなった。今日も朝、こうして生きられている。過度な期待や悲しみもなく、淡々とやるべきことをこなせている。

奇跡だな、と思う。ただ、それがうれしい。

もしかしたら、歩みや成長度合いは人より遅いのかもしれない。心が子どもっぽくて未熟だな、と感じることも多々だけど、これが今の私なんだ。

こんな私だからこそ、何かできることや書けることもあるのかもしれない。

まだまだ、途中だけれども引き続き発見や変化をつづっていきたい。簡単ではないかもしれないけれど、人は自分が諦めなければ、少しずつでも良いほうにも変えられると体感として思う。

最後までお読みいただき嬉しいです♪ありがとうございます!これからも心を込めて執筆していきます。