がまを

“日々、真剣に雑談を” がモットー。リトルプレス「ユカリロ」連載『秋田のことば収集帖』https://yukariro.jimdofree.com/ 好きなものは蛙とガラモン。秋田在住。

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紫金山・アトラス彗星と、ハレー彗星と不登校。

今日、17:30頃、 うっすらと西の空に、紫金山・アトラス彗星が肉眼で見えました。 美しかったです。 見ながら、1986年のハレー彗星ブームを思い出していました。 今から思うと異様な(笑)フィーバーでしたが、接近前から本や雑誌が出たりして、私も夢中でした。 当時、私は小学校の登校拒否の真っ最中。 週に数日、午前中、仕事に向かう途中の母に連れられ学校へ行き、玄関で担任、たまに級友に面会し、家で書いた作文や絵を見せていました (それで出席扱いにしてくれていたのです…)

    • 「死ぬまで写真への愛と尊敬を胸に生き続けていくつもりである。」細江英公

      細江英公の写真を初めて生で見た時、“鎌鼬#8” の前で立ち尽くしていました。 自分が放心しているその理屈は理解できずとも、 生々しく銀の浮き出した写真の前で私は心底驚き、畏怖し、法悦し、なぜか安堵していました。 それからしばらくは夢中で細江英公と土方巽の作品を追いかけ、周りからは細江英公ファンだね、土方巽ファンだね、または写真好きなんだね、暗黒舞踏好きなんだね、と言われたりもしましたが、勿論そうとも思えましたがどこか腑に落ちずに、はたして私は細江英公のファンなのか、土方巽

      • 今朝、『東京物語』と『男はつらいよ』と現実との境目の無さに打ちのめされました。

        昨日、ふとしたことからお袋と小津の『東京物語』の話になった。 小津作品の女優ならば杉村春子派である (そんな派閥があるのかよ笑) 私は、例の、あの酔った父親笠智衆が帰ってきたシーンについて力説していた。 (例の、とは、こちら『誰も彼もが本当は長い長い背景を背負っている─小津安二郎『東京物語』をご覧ください) その流れで、 『男はつらいよ 寅次郎恋歌』で博の母親が危篤になり、さくらと共に実家へ駆けつけるシーンを思い出した。 お金持ち、良家に嫁いで鼻高々にしている博の兄妹達が、

        • 「ウィンウィンウィー」と「トゥクトゥクオーシ」─蝉の話

          私が子どもだった頃、秋田にはミンミンゼミもツクツクボウシもいなかった。少なくとも私の町で鳴き声を聞いたことはなかった。 その頃の私のイメージでは、ミンミンゼミもツクツクボウシも、存在は知っているにしても、関東から西のほうにいる蝉であった。夏場に西へ旅行することもなかったので、私はその鳴き声を直に聞く機会がなく、TVドラマか昆虫番組で聞いて知っているだけであった。 それが、 小学から中学にあがる頃の、ある夏の日。向こうのほうで一匹、 「ミーーーンミンミンミーーーン…」

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        • 「死ぬまで写真への愛と尊敬を胸に生き続けていくつもりである。」細江英公

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        • 「ウィンウィンウィー」と「トゥクトゥクオーシ」─蝉の話

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        記事

          本当の若さということに、短歌レッスン中に気づかされる。

          どんなことであっても、表現してみて、批評されてみることで、初めて発見する自分自身、ということがある。そうして頭で解釈しただけだったものが、それによって、ようやくはっきり腑に落ちてくる、ということがある。 人はそのように、人との関係性のうちに初めて自分自身を知っていく。この「縁起」によって、人は初めて自分自身を見ることができる。 春から月イチのペースで短歌レッスンを受け始めた。 今月も頭に汗して何とか二首、短歌らしきものを捻り出した。 もっとダメ出しされるかと思いきや、切れ

          本当の若さということに、短歌レッスン中に気づかされる。

          ミケランジェロのダビデ像の傷だらけの人生by鶴田浩二(?)

          古い時代が終わり、やがて新しい時代が始まる……。 しかし時代が変わるのは、 「古い」時代を生きた人間が、 精一杯にその時代を駆け抜けてくれたからでございましょう。 その古い人間が精一杯に、 その時代の「新しさ」で生ききってくれたからこそ、 時代はそれを出し切って新たなスペースが生まれ、 そうして新しい人間が、 新しい時代を始める事ができるんでございますよ。 もしも古い人間が、 その時代の表現をし尽くさずに、ぐずぐずと泥濘を歩き続けてきたとしたら、 時代はいつまでた

          ミケランジェロのダビデ像の傷だらけの人生by鶴田浩二(?)

          涙を流すマリア像の前でうかがったお話

          以前、秋田市添川にある修道院、聖体奉仕会を見学したことがあります。 涙を流したというマリア像のあるところです。 きっかけは、ほんの好奇心からでした。父がまだ元気だった頃ですから、もう20年ほど前の事です。 父は時々、秋田市山内にある「丸木橋六兵衛」のお豆腐を買いに行っていました。 その日、私は誘われて共に行ったのです。澄んだ山の景色を見ながら、お店の横で豆乳ソフトクリームを食べるのが父は楽しいらしく、けれど、野郎ひとりではきまりが悪いので、私を誘ったらしいのです。 仁別

          涙を流すマリア像の前でうかがったお話

          イエスを慕う人々との、3つのお話

          あるキリスト教会を見学させていただいた。教会は、その歴史的価値から当地の文化遺産にも登録されている。 お邪魔にならないよう、礼拝の時間を避けて訪ねると、たまたま会衆の方が一人いらっしゃって、快く中を案内してくださった。 静かな教会内を見てまわるうちに、礼拝堂とは別に、小さな祈祷室のような空間がひっそりとあることに気が付いた。 聞いてみると、 そこは祈りのための部屋だけれども、教会がお預かりしている、亡くなった信徒の方々の遺骨が安置されているのだった。 何故、預かってい

          イエスを慕う人々との、3つのお話

          百合子、貴女ほんとにそれでいいの?──大林宣彦『さびしんぼう』

          ふと、大林宣彦監督『さびしんぼう』を思い出して、やけに胸が苦しくなった時があって。 尾道で悪友たちと青春を謳歌する高2のヒロキ(尾美としのり)は、近くの女子校に通う百合子(富田靖子)に恋をする。しかし百合子は、いつもヒロキが見つめている、爽やかでピアノが好きな女子高生という顔の反対側で、ヒロキの知らない苦しい境遇で生活していた。 「恥ずかしいから…」と言いかけて家までは絶対に近づかせない百合子。そして、もうさよならしてほしいと言う百合子。 ヒロキは恋を経験して大人になって

          百合子、貴女ほんとにそれでいいの?──大林宣彦『さびしんぼう』

          『インターステラー』を今ごろ見る。(AIと恐怖の話再び)

          たった今、クリストファー・ノーラン『インターステラー』を見たのですが (やっと今ごろかよ) 、はぁ~面白かった。こんなヒューマンなラストだったんですね。 以前自分で書いた、AIと恐怖の話がやっぱり出て、(過去記事『AIに心はあるのでしょうか』) 考えてみるとそりゃそうですね。 「愛か恐怖か」とは、文明─ “迷える子羊” である私たち、にとって、命題なのではないでしょうか。 「ロボットには恐怖がないからダメだ!」とかって言ってますね。それからロボットTars (あのフォル

          『インターステラー』を今ごろ見る。(AIと恐怖の話再び)

          フェリーニ『道』と、寅さんの口笛

          さっき、突如、やっと判明……。 親がかつて「寅さん全作制覇する!」と言って休みの日にビデオ借りてきて見ていて、私もつられて全作見ていて、そんなわけでいろんな有名な映画より先に、寅さんが先入観(?)としてある私なのだけど、 後にフェリーニ『道』をTVか何かで見た時に、綱渡りのイル・マットが、 「♪ジェルソミーナ、ジェルソミーナ…」 と歌うのを聞いた時に、 あれ、これ寅さんも口笛吹いてるよな… と。 で、確かめようと、寅さんを何作か見始めてみたけど、たった1つの口笛

          フェリーニ『道』と、寅さんの口笛

          “永遠” を見誤った話

          いつだったか、 仕事で豪華客船に乗ってきたという友人に、その土産話を聞いたことがありました。 南米へと向かう航海の真ん中、そこは見渡す限りの海。何処にも陸は見えない。 360度、ぐるりと水平線があった。 水平線を見ていると、ふと “永遠” を思った。 行けども行けども辿り着かない水平線。いつまでたっても遙か彼方の水平線。 永遠というものを、もしも視覚化できたなら、こういうものだろう。 ああ俺は今、永遠を見ている。 遙かな、切ない気持ちになった。 やがて船は、 ア

          “永遠” を見誤った話

          「傷つく事は悪い事じゃない。」──絶望と色について

          絶望した事はありますか? 私自身も以前、ある事で大変に悔しく、腹立たしく、悲しい思いをした事があります。 詳細は置いておくとして、 その時は、なんで私が?というショックと、人の信頼なんてこんなものか、という落胆で、何をしていてもその事が頭から離れず、何かを楽しむなんて全くできなくなりました。 経緯を知る友人達に、君は悪くない、ひどいのはあっちのほうだ、と慰められてもショックは癒えず、毎日ひとりでに涙が出てくるのでした。 そんな状態で、数カ月たった頃です。 仕事先からの

          「傷つく事は悪い事じゃない。」──絶望と色について

          深夜のトランジスタラジオ

          子どもの頃。 夜中、電波の空いた時間。 枕元に置いてあるトランジスタラジオのアンテナを、最大限に伸ばす。 このラジオは、生まれた時から家にあった古いもので、当時でももうトランジスタなんて使ってなかったから、勝手に自分のものにしていた。 ここからが楽しい時間。 ベッドに寝ころんで、 ゆっくりとダイヤルを回していく。 昼間にはキャッチしない、隣国の放送が雑音に混じって聞こえてくる。 例えば唐突に、中国語の歌が (内容は全く分からない) 。 またクリスマスには、ロシア語圏の

          深夜のトランジスタラジオ

          近所を福の神が歩いていた。

          正月二日。 用事の合間、近所に散歩に出かけた。ここは手形山の縁。少し行けば森林の空気を吸える良いところだが、昨年の記録的な水害と記録的な猛暑に続いて、秋には記録的な熊の出没。山方面を散策する気分にならなかったが、今は真冬だ。熊は冬眠した、、、はずだ。 坂道をウネウネと登ると、地元の氏子さんしか行かないような小さな神社にさしかかる。若宮八幡宮という。その境内の脇に、爺さんが独り座っているのが見えた。おや、あの爺さんは、、、 “あの爺さまん ではないか! “あの爺さん” とは

          近所を福の神が歩いていた。

          おかきを食うおじちゃんを見て出した結論──人生とは○○。

          コンビニに入った。 イヤリングをジーンズのポケットに突っ込んだまま家を出てきてしまったのでつけようと思い、イートインスペースで鞄を置いた。 ひとりの男性が、今買ってきたと思われるスナック菓子の袋から、しょうゆ味のあられ的なものをひとつ、またひとつ、つまんでいた。 この、仮に男Aは、年齢は60代だろうか、例えるなら、どこに行くにもトレパンに煙草、みたいな、私の住む田舎あるあるのおじちゃんである。 男Aのすぐ近くにコーヒーマシンがあり、30代くらいの男Bがいそいそとコーヒーを

          おかきを食うおじちゃんを見て出した結論──人生とは○○。