“永遠” を見誤った話
いつだったか、
仕事で豪華客船に乗ってきたという友人に、その土産話を聞いたことがありました。
南米へと向かう航海の真ん中、そこは見渡す限りの海。何処にも陸は見えない。
360度、ぐるりと水平線があった。
水平線を見ていると、ふと “永遠” を思った。
行けども行けども辿り着かない水平線。いつまでたっても遙か彼方の水平線。
永遠というものを、もしも視覚化できたなら、こういうものだろう。
ああ俺は今、永遠を見ている。
遙かな、切ない気持ちになった。
やがて船は、
アルゼンチン、ウルグアイ国境のラプラタ川へとさしかかる。
知っての通り、ラプラタ川は河口付近で極端にラッパ状に開いた、世界一川幅の広い川。
広過ぎて対岸が見えない。
つまり、水平線が見える。
……あれ?
川なのに水平線が見える。
広いと言えども川なのに。
永遠と思うほど遠かった水平線が、川でも見えるではないか。
水平線は、意外と近いかもしれない。
そこで船長に、水平線までの距離を聞いてみた。
「目の高さによりますが、ここからなら、だいたい20マイルです。」
永遠までの距離、20マイル。
意外と近い。
今まで “永遠” と見定めていたものに、あっさりと距離が判明し、がっかりした。
──と、彼は笑っていたっけ。
その彼は、もうこの世にはいません。
完全に彼岸へ渡っている彼の影も形も、そこにいるのであろう彼岸の岸辺も水平線も、私には何もかもが見えません。
けれども、
彼のほうでは今、おそらく永遠というものを完全に理解して、至福に満ち満ちているのでしょう。
羨ましい気がします。