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【書評】夏目漱石『道草』を読む。お金に振り回されず、人生という道草を楽しめ!
ロッシーです。
夏目漱石『道草』を読みました。
『こころ』の次は『お金』
『道草』は、夏目漱石の自伝的作品です。物語的には特別な事件が起こるわけではなく、主人公である健三の日常的な葛藤や苦悩が淡々と描かれています。
そして、その葛藤の大部分を占めているのが「お金」の問題です。『こころ』の次の作品が、「お金」に関する作品というのは、なんだか考えさせられますね。ちなみに、この次の作品が未完成の『明暗』なので、完成した作品としては、この『道草』が最後となります。
さて、『道草』の中で最も印象的なセリフのひとつが
「みんな金が欲しいのだ。いや、金しか欲しくないのだ。」
というものです。
この言葉は、健三が義理の両親や周囲の人々の態度を見て吐き捨てるように言ったものです。それだけ、この作品を通じてお金というものが大きなテーマになっています。
『道草』を読んでいると、お金が人間関係を歪める様子が描かれています。主人公の健三は、義理の両親との関係や家庭の問題に頭を悩ませながらも、結局のところ、彼が最も振り回されているのは「お金の問題」です。
養父母は彼の財力を当てにし、たかってきます。
「お金やらなきゃにいいのに。」
と読者としては思ってしまうのですが、健三もまた、彼らとの関係を断ち切ることができずにズルズルと関係を続けています。そこには、愛情ではなく、金銭的な依存関係が絡んでいるのです。
現代社会における『道草』の意義
さて、現代社会ではお金の重要性はますます増しています。SNSを開けば、豪華なライフスタイルを誇示する投稿があふれ、「成功=金持ちであること」という価値観が広がっています。
こういう時代では、「みんな金が欲しいのだ。いや、金しか欲しくないのだ。」というセリフは、100年以上前の作品でありながら、むしろ現代に生きる私たちの心により強く響くのではないでしょうか。
とはいいつつも、漱石は『道草』を通じて、単に「誰だって金が欲しいんだ」とか「お金は大事なんだ」と言いたかったわけではないと思います。そんな当たり前のことを書く必要なんてないでしょうからね。
むしろ、彼が伝えたかったのは「お金に振り回されないことの重要性」だと思います。
主人公の健三は、物語においてお金に振り回されてばかりです。しかし、最後に彼はこう言います。
「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。」
これは、一見するとネガティブなセリフと捉えられがちですが、本当にそうなのでしょうか?
「お金の問題も含め、片付くものなんてないんだから、それらを所与のものと捉えて人生を歩めばいいんだよ。」
というある種の達観したメッセージだと私は受け取りました。
そして、健三はそういうメッセージを発するような主体に変貌したということです。つまり物語としてはハッピーエンドといえなくもないのです。
そもそも、なぜこの作品は『道草』と名付けられたのでしょうか。
道草とは、目的地へ向かう途中で寄り道をすることを指します。健三の人生もまた、お金の問題によって思うように前へ進めず、寄り道を余儀なくされているように見えます。
でも、それはお金に振り回されるからそうなってしまうのだ、という見方もできるわけです。
「お金に振り回されて、まっすぐな道を歩めない」と捉えることは簡単です。
でも、「お金に振り回されずに、道草を楽しんで歩んでいくこと」もできるはずなのです。
それは、お金というモノサシを基準にしがちな私たちにとっても、重要なメッセージなのではないでしょうか?
ぜひ、興味のある方は一読してみてください。
「まっすぐな道でさみしい」 種田山頭火
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!