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当事者研究(双極性障害の私を知る)

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双極性障害の私を研究するマガジン。
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記事一覧

私の双極症コントロール術

私の双極症コントロール術

私は、3年半ほど継続して精神科に通院している。

双極症としては、31歳の時に初めて診断され、その前には25歳の時に、うつ病として治療を受けていた。(抗うつ薬は食欲不振を強め、まったく効かなかった。躁となって変な行動をしたりするはめにもなった。)現在の主治医には、以前の双極症治療については語らず、初めて相談に来ましたという形で治療を受け始めた。(結果的に、良かったと思う。だって、31歳から39歳は

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躁鬱の波がひどかった頃の話(悪魔祓いが必要と思っていた)

躁鬱の波がひどかった頃の話(悪魔祓いが必要と思っていた)

双極性障害で精神障害者手帳2級である。

私の躁鬱は、ちょっと風変わりなのである。
宗教的関心が高まる⇒躁鬱
躁でも鬱でも、宗教(キリスト教)が絡んでくるのだった。

鬱で苦しい時は、エクソシストが気になっていた。自分には悪魔がついていると思えてしょうがなかった。
躁の時は、全国にある教会や修道院に手紙や献金を送ったりしていた。実際、修道院に一泊したこともあった。宗教とは違うが、北海道の「べてるの

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遅くなりましたが(自己紹介!)

遅くなりましたが(自己紹介!)

そういえば、noteを始めてから「自己紹介」を省いていました。

投稿をご覧になっている方は「介護福祉士で双極性障害でタロットカードとかが趣味の40代でしょ」ってご存知だと思いますが、今回は少し違った視点で【山薄荷・やまはっか】を紹介させてください。

山薄荷というのはペンネームです。
本名と1ミリも被りません。

みんなのフォトギャラリーからお借りしたコントラバスのイラストの通り、中学・高校と吹

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私の父親は、とんでもなく他責だった。

自責の人と、他責の人がいる。
私は、かなり自責寄りだ。

私の父親は、とんでもなく他責の人で、私と考え方が正反対なために、まるで会話が成り立たなかった。

父親は、自分が子を不幸にしているという自覚を持たず、最期まで負の遺産を片付けなかった。相続放棄を家庭裁判所で手続きしてあるが、ゴミ屋敷にした家が残っている。
そのことが、私の人生を暗いものにしている。父親は災いだった。せめて私という子を作らない

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当事者研究②

3月になった。
東日本大震災から11年が経つ。震災の日、私は退職希望を伝えて悶々とした気持ちで、ある温泉旅館の土産物売り場を1人担当していた午後だった。
ちょうどアイスクリームの納品が終わった当たりで震災は起きた。覚えているのは、チェックインしたお客様にラウンジで休んでもらって、売店にある食料品を社長の指示で鍵を開けて出した記憶だ。ルームさん(仲居さん)が寒いなかお客様に氷入りの水を出していて、マ

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当事者研究①

双極性障害の私を研究してみる

私は、主治医からは「双極性障害かなぁと思う」と言われています。
主治医も、初診で話したことを踏まえて経過を観察しているのでしょう。
私が「なんだか体調の波が酷くあるなぁ」と気づいたのは、23歳の頃です。私は、自分が躁鬱病だなんて、この頃は微塵も考えていませんでした。「紅茶の飲み過ぎの反動だ」くらいに考えてたんですよね...。やたら紅茶が好きだったので。今なら、「その

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