当事者研究②
3月になった。
東日本大震災から11年が経つ。震災の日、私は退職希望を伝えて悶々とした気持ちで、ある温泉旅館の土産物売り場を1人担当していた午後だった。
ちょうどアイスクリームの納品が終わった当たりで震災は起きた。覚えているのは、チェックインしたお客様にラウンジで休んでもらって、売店にある食料品を社長の指示で鍵を開けて出した記憶だ。ルームさん(仲居さん)が寒いなかお客様に氷入りの水を出していて、マジか~と思ったっけなぁ...。
綿の着物で旅館から寮に戻る時に、あまりの寒さで低体温症寸前だった。
そんなタイミングで、震災から数日後、私は退職し、当時付き合い始めた店長と別れ、借りていたアパートに引きこもり、ようやく福祉職に戻ったのは5月だった。
あの年、私は30歳だった。
長く従事した福祉職を辞めたのが29歳の7月。私は聴力の異常と耳の内部の痛み、急な体重減少に苦しみ、9月には温泉旅館の職に就いた。今記憶を辿ってみても、なんだか幻のような気がしてしまう。おそらく双極性障害と、何か派生した体調の変化が強すぎて、私は私のようで私ではないような時間を生きた気がする。特に30代はハードな時間だった。腰痛にも苦しんだ期間が長かったし、痩せてパニック障害も起こしていたから...。
得た絆を自ら絶ち続けた30代の自分に言ってあげられることは無い。
2019年、父が心臓発作で突然亡くなり、私の家族は誰も居なくなった。
今日は、AIさんの歌う「アルデバラン」を聴きながら、
♪君と私は仲良くなれるかな、この世界が終わるその前に。
の歌詞に涙を流した。生まれて最初に友達になったはずの父母と、最後の最後まで「仲良くなれなかった」哀しみをおぼえた。