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うつが一番ひどかった時のメモを晒す


気付かないうちに心と身体をじわじわ侵食し、破壊してしまう「うつ病」。

今は寛解し、毎日明るく仕事をしている私ですが、

そんな私もつい1年前まで、うつ病の症状に毎日苦しめられていました。


「死んでしまいたい、生きることをやめたい」

「何故か分からないけど辛い気持ちが離れない」

「家事が出来ない、動けない」

「自分の身体じゃないみたい・・・」


今考えると、その症状はかなり重く、正常な思考がうつ病に浸食されているような状態でした。

しかし、当時の私は必死に前までの生活を保とうとしていました。


止めどなく溢れてくるマイナス感情や劣等感、原因不明の絶望感・・。

かつての明るい自分とは無縁だったこれらの感情に、どう向き合えばいいのか分かりませんでした。


そんな時、私はiPhoneのメモによくありのままの気持ちや症状を吐露していたのです。


最近、iPhoneのメモを整理していた時、たまたま当時のメモを発見しました。

それを見て、当時の私なりに、毎日、毎日闘っていたんだなあと感じました。

今回は、そんな私のうつまっただ中のメモを公開したいと思います。


今まさにうつ病の症状で苦しんでいる方、家族や友達がうつ病で悩んでいる方へ、「この苦しみは永遠に続くものではない」ということが少しでもお伝えできれば幸いです。


※このメモには、「自○」という言葉がダイレクトに登場します。敏感な方は閲覧をお控え下さい。


1.「散歩に出るも、泣きたくなり5分で帰宅」


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これはちょうど3年前くらい、初めてうつっぽい症状に悩まされた時に書いていたメモです。

当時の私は大学生3年生。

趣味も充実しており、習い事にも精力的に取り組んでいた私に、うつの初期症状が襲いかかりました。

それまでも一時的に落ち込んでしまったり、身体の調子が良くない日は数え切れないほどありました。

しかしこの時期に感じた不調は、それまでのものと比べものにはならなかったのです。


――――――何かが、おかしい――――――


そんな時期を半年ほど過ごし、明らかに変だぞと感じ始め、心療内科を視野に入れ始めたのもこの頃です。

心療内科を万が一受診した時の為に残しておこう、そう考えて書いていたのがこのメモです。


・ささいな予定や家事が遂行出来なくなり、電話や人との会話、ストレッチなど日常生活において必要なことを遂行するのも何故か辛い。

・異常なほど涙もろくなっている。

・夜中に突然不安に襲われ、眠れない。


今見ると、完全にうつ病の初期症状であることがわかりますね。

大好きだったカラオケに行ったのに、歌えずに2時間くらい泣いて終わったことは今でも脳裏に焼き付いています。


そして極めつけは「散歩に出るも、泣きたくなり5分で帰宅」です。


この時、「憂鬱な時には散歩がおすすめ!」という記事を見つけ、実行しようと外へ出ました。

うつ状態をどうにかしたい。その一心でした。

しかし・・・歩いているうちに何故かじんわり涙がにじんでくるのです。


「私、一体どうしちゃったんだろう・・・」


この時から、私のうつとの戦いが静かに幕を開けました。




2.「自○する時の自分のイメージがついて回る」


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このメモは見ていて一番驚きました。

私はうつだった時期を思い出すとき、「希死念慮はあまり無かった」と記憶しているからです。

しかし今見ると、バリバリあるじゃん、希死念慮・・・。


そう、うつ状態から寛解すると、当時の記憶というのは「こんなもの」なんです。

うつの時に毎日「死にたい」と思っていても、寛解すると「なぜあんなことを思っていたのだろう?」と思うのです。

今であれば、こうした思考に至ることは全く想像が付きません。そして、あまりはっきりと覚えていないのです。

つまり、うつ状態時は脳が明らかに正常な働きをしていないということがわかります。

うつ状態というのは、永遠には続きません。

でも、当時の私はこの辛さが一生続くもののように感じていました。

だから、この辛さから逃れる=死 という、極端な思考になっていたのです。


もう一つポイントなのが、「なぜ自分はいつもこんな状態になるのだろう」という点です。


本当は、私は人生のほとんどを明るく平穏な心で過ごしていたはず。

しかしこの時の私は、「うつ状態」の自分を、

これまでもそうだったし、これからもそうなんだ

と考えていました。

これもうつ病特有の極端思考が顕著に表れています。


そして、大好きな舞台観劇(「キャッツ」)も楽しめず、ひたすら客席で泣いていました。今考えるとかなりおかしいです。

周りの観客には、「感動している風」を装っていましたが、心の中は「私どうしちゃったんだろう」という思いでいっぱいでした。


この頃に私は、心療内科受診を決断しました。

数ヶ月先の予約を取り、ただひたすら、静かに初診の時まで耐えていたのを覚えています。


いや、でも私がうつなわけない。皆もっと辛いはずなんだから。

私は怠け者で心が弱いんだ・・・。


そう感じていました。


3.「医師の診察内容覚えてない」


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そして心療内科をやっと受診した私。

その結果はもう書いてあると思いますが「なんか覚えてない」です。


初めて行った病院では、「女性ってそういう時期あるから。少し様子見ましょうね~。」と言われたことを覚えています。


あ、やっぱり私はうつなんかじゃないんだ。

そう思ったのを覚えています。


髪のカールした、品の良いおばちゃん先生は、開口一番

「さて、どうしました~?」と聞きました。


「えっと・・・あまり眠れなくて。あと、不安?で。」


私も心療内科受診が初めてだったこともあり、上手く答えることが出来ませんでした。

別の記事で紹介しているのですが、結論から言うと私はこの先生とは相性が良くなかったです。


良い医師(←個人の感想です)は、質問に対して答えに詰まる様子を見ると、「はい」か「いいえ」で答えられる質問に切り替えてくれることがあります。


しかしこの先生は、じーっと私の返答をメモしながら待つばかりで、私は圧迫感のようなものを感じてしまい上手く答えることが出来ませんでした。


その結果、何を聞かれたのか、何の意味がある診察だったのか、私ははっきりと思い出せませんでした。


4.「自○したくなり、母にラインする」

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最後はこちら。

ちょうどこの頃は新しい病院の初診前です。

この後新しい病院で診察を受け、少しずつこういった暗~いメモは減っていきます。


やっぱり希死念慮はあったようで、涙がTPO関係なく出てしまっていたようです。

そしてとうとう、うつ状態を隠していた母に、「辛い」とラインを送ります。

母は、そんな私の話をただじっと聞いてくれました。今でも、一番傍で支えてくれた母にはとても感謝しています。

時には「頑張りなよ」と言われたり、「お母さんもそういう時期あったよ~」と言われたり、所謂「うつの人に言ってはいけない」と言われていることも言われましたが、私にとっては心の支えでした。



5.まとめ


ここまで見てみて、いかがでしたか。

私は今見ると、「こんな時期あったっけ・・・すごく異常だったな、私」と思うのですが、当時の私はそんな風には思っていませんでした。

うつ状態がこれから永遠に続き、これが自分の本質であるかのように感じていました。

「私ってなんて怠け者なんだろう」

「私ってなんて弱いんだろう」

「こんなことで泣くなんて情けない」

そう感じ、自分を責めながら、毎日闘っていました。


もし今、過去の私にメッセージを送れるとしたら、私はこう伝えたいです。


闘ってくれてありがとう。

貴方の強さがあったから、私は今寛解出来ました。


過去の私。


これからは、自分に徹底的に優しく、緩く生きていきます。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

もしよろしければ、ご意見、ご感想をお書きいただけると幸いです。

また、次の記事でお会いしましょう。


ROMI



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