わたし うつなの? ~「休んではみたけれど②」~


大学が夏休みに突入し、一ヶ月の休養を取ることになった私ROMI。


起きてはご飯を食べ、また寝て、また起きてご飯・・・ほとんどの時間をそのように過ごしていました。


しかし・・

「何日寝ても疲れが回復しない・・・」



起きて、寝る、トイレに行く、お風呂に入る・・・それ以外のことをする気力が全く沸きませんでした。


一週間、二週間と時間がたつにつれて

焦る気持ちは募るばかり。


しかし身体は石のように硬く、動かすのもなんだかしんどいのです。


この感覚は、どのように説明したらいいのでしょうか。

今の私の語彙力では表現するには難しく、例えるなら「身内が亡くなったときと同じくらいずっしりと重たい気持ちが つねに子泣き爺のように身体にへばりついている。」といった感じです。


とにかく、ずーーーんと身体も気持ちも一日中重たいのです。




二週間がたつ頃には友人から連絡が入るようになっていました。


「ROMI調子はどう?」

「ちょっと電話できる?」


今考えると、このような友人を持っていた私はかなり幸せ者だったのだと思います。しかし当時の私は電話に出ることをたまらなく恐ろしく感じていました。

 電話が苦手な人ってかなり多いイメージがありますね。私もその一人です。


・通常の会話とは異なり少しはっきり話さなければ相手に伝わらないという緊張感。

・耳に全神経を集中させなければならない緊張感。

実は電話ってかなり高カロリーな作業なのかもしれませんね。



それに加え当時の私はこのように考えていました。


電話に出たら、いつもの明るい私で応対しなければ。




電話をくれた人からすればそんなこと考えなくていいよ!という感じなのでしょうが私は心配をかけるのは絶対にいやでした。

私はだんだん、電話に出ることもLINEを返すこともなくなっていきました。



母にはよく相談していました。


毎日理由もなく涙が出る。

身体がだるい。

自分が迷惑な存在だって思う。

お母さん、私どうしたらいいかな・・?



「少し散歩に出てみたら?」


散歩か・・・。いいかもしれない。


母のアドバイスを聞いて、なるほどと思った私は翌日、やっとの思いで服を着替え外へと繰り出しました。

一歩外に出ると気温は熱くもなく寒くもなく、暖かい日差しが差していてまさにお散歩日和。


きゃあきゃあ自転車に乗ってはしゃぐ子供たち、うきうきと尻尾を振りながら散歩するイヌ。


   〔 髪はぼさぼさで猫背の私。〕



にこにこしながらウォーキングする老夫妻、同じ学校の学生たち。



     〔ひとりぼっちで重い身体を引きずる私。〕


その頃住んでいた家の近くに、公園へと続く階段がありました。

私の計画ではそこを上って公園を歩くつもりでした。


なんてことのない階段です。

見上げれば公園が見えるくらいの距離です。


しかし


身体が動かない。

登れない。

例によってね。



――――――――もうだめだ。



家を出てわずか五分、自分のふがいなさに耐えきれなくなり、また涙があふれてきました。

このときのことは妙に鮮明に覚えています。


すれ違ったビーグル犬に「なんかこいつないてる」って感じで見上げられたこと、また泣いている自分にパニックになり息が苦しくなったこと。


このとき私は、はじめて自分の身体と心に重大な異変が起きていることに気づいたのでした。

心療内科・・行ってみようかな。



そして心療内科を探し始めることになるのです。



→ 次回「はじめての心療内科」





今回の話は、今自分で思い出しても謎が多い話です。

なぜなら、「理由もなく涙が出る」という感覚は、今となってはきちんと思い出せないからです。

わたしのうつの中で、ある意味一番厄介な症状でもありました。

涙を見せてはいけない場面で感情のコントロールが効かない。20歳前後です。三歳や四歳じゃないのです。

周囲の人を困惑させるだけでなく、過剰な心配をかけてしまいます。

「なぜ泣くのか自分でもわかりません」といっても理解はされません。

なんと辛いことよ。


うつ病ときくと、まず身体症状から出るとよく言われますが必ずしもそうではない。私はそう思います。

とくに年齢が上がれば上がるほど、感情のコントロールが効かないということはかなり辛いものだと思います。

皆さんは身体症状と精神症状、どちらが強くでていましたか?



次回は、心療内科についてのお話をしたいと思います。







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