「どうしよう」とも思わなくなったら、本当の おわりかな。
こんばんは。つむです。
気づいたらもうよる。
今日は一日、いったい何していたのか。
いつも何かに追いかけられているようで、
その正体もわからず、
頭だけ、ハムスターのカラカラみたいに焦ってダッシュしているような
気がする。
行動は、なにも伴っていないけど。
結果、何の進歩もないどころか、下り坂をコロコロ転がっているような。
きっとそう。
でも、きょう、ぼんやりと何かを考えていた時に、
「もういいや、どうでもいいよ、むり。」
って頭の中で思ったじぶんに気づいた。
これから先、どうにかしないと、少しでも状態良くなるように
何とか頑張らないと、とか、
生きていくために、社会復帰、仕事、とか。
「色々、これから先、そのためにどうしよう。」って、
方向性も答えも何も見えていないくても
そう思えていただけましだったのかもしれない、とおもった。
もちろん、やたらにもがいて負傷したことも度々だけど。
そんな、「どうしよう」が自分から消え去ってしまったら、
その時が完全に「絶望」、おわり の時かな、と思った。
休職開始から2年以上経過。残された時間はもう1年を切っていた。
気づいたら、休職開始から2年以上経過していた。
休み始める時は、こんな人生になるなんて考えてもいなかったし、
そんな人生は絶対あり得ないと思っていた。
こんなふうになるはずではなかった、つもり。なのに。
休職し始めた当初の自分は。 でも、2年経ってこんな人生とは想定外。
でも、冷静に振り返ってみて、当時の自分はそれこそ
正常な判断を自分でできる状態ではなかったかな、とも正直思う。
なぜなら。
休職前後のことをほぼ覚えていないから。
もうかなり時間が経過した、からかもしれないけど。
それだけではない、はず。
職場では2000%くらいで何とか一人分の仕事をしていたけれど、
職場を出たら、その反動でおそらく私生活はぐちゃぐちゃだった。
みたい。
何回も「仕事一旦休みましょう」と言う主治医の意見、判断を
強引に押し切って、あと一週間だけやってみます。みたいなことを
繰り返していた、ような。
実際そうらしい。
でも、いよいよ限界を迎え、ある事をきっかけに
突然、「ぷつん」と本当に音がして、何かが完全に切れてしまったように、
仕事に行けなくなった。
当然、そのまま休職に突入。主治医は安堵の様子だったのを記憶している。
(本当に頑固ちゃんでごめんなさい。)
満身創痍。って感じかな。
だけど。それでも頑固のつむさんは、
自分の努力が足りないだけ。少し休めばまた行けるようになる、というか
「早く仕事に戻らないとダメ。休んでいたらダメ。」で
頭がいっぱいだったかな。
だから、一旦休むけど、
休み始める時点ですでに頭の中では、と言うか気持ちだけは、
一刻も早く仕事に戻ることを考えていた。
主治医には、「診断書は何週間ですか、いつ仕事に戻れますか」
とさえ聞いていた。当時のつむ。(…)
だけど。現実はそんなに甘くなかった。
これまで毎日行けていたんだから頑張ればいける、
怠けている自分が悪い、と思い
当初は、1ヶ月。どうしても無理なら2ヶ月。
と、シニカケながら、不可能な事を必死に目指していた。
現実の自分を受け入れ、いつしか、復帰の時期は未定。に変わった。
日々、何もできなくなった自分、「生きている」ことしかできない自分を、
受け入れざるを得ない時期を過ごして、(どのくらいの期間かは覚えていないけど。)
いつしか、「復帰の時期は未定。でもいつか戻るはず。」
と、少し現実味がなくなった事として、
思うようになった。なってしまった。
でも、わずかでも、希望は持っていた。
捨てるわけにはいかなかった。
自分からそれをなくしたら、自分が存在する意味がなくなるから。
いまの自分は。思うようにいかなくて、…。でも、わずかな「どうしよう」はあるはず。
でも、思うように良くならなかった。みたい。
自分のせいだけど。全部自己責任。
その結果がいま。
2年経過して、通院以外は家に引きこもり。
家族と主治医以外、(昨今のトラブルは異常事態)
基本、連絡を取る人もいない。
そんな、社会から完全に脱落したじぶんになっていた。
坂道をきれいにコロコロと。
生きるの無理。もうやめたい。って思いながらも、この先のことを自分なりに何とかしようと悩んでいる。つもり。
だけど、まだわずかながらに「どうしよう」とは思っている、つもり。
その「どうしよう。」は、
まだ期間はある、元の職場に戻れる可能性もあるかな、
もしも戻れなかったら、転職かな。同じ保健師、医療系…
それとも、医療系が難しかったら、違う分野かな、
どんなお仕事があるのかな、とか。
いろいろ、いろいろ、わからないなりに考えている。
もう人生やめたい。生きるの無理。って本気で思って泣きながらも、
自分なりに。
これから先、がある前提で 悩んでいる。
漠然とした「どうしよう」だけど。
消えつつあるらしい、「どうしよう。」
何だか あきらめ。というか
もう気力がない、底尽きた、というのか、
生きるの無理だよ。が強いのか、
これから先を生きる自分が全く想像できなくて
もう逃げたくて、そう思っているのか。
理由はわからないけれど。
「どうしよう」の中に「もうむりだよ。むりだから。」という思い、
自分の心の声があることに気づいた。
完全に消えてしまったら、どうなるのかな。
消しちゃいけないけど、このままだと
消えちゃいそう。
それこそ想像つかないけど、
みたことのない「絶望」、もうおわり。
になっちゃうのかな。
生きるのつらい。
毎日つらい。
毎日人生やめたい。って思ってる。
こんな人生、日々におわりがくるときはら
本当に いのち もおわる時なのかな。
なんて思う。
そうであってほしい。っておもってしまうのが、
いまのつむの正直なきもち。