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高校1年、摂食障害がわかって教師に言われたこと。「将来…。」


最近よく感じる、いままでにない複雑な思い。

昨日の投稿に続き…というわけでもないけど。

最近、いろいろなことが重なって、
今までに感じたことのない複雑な感情を抱くことがよくある。
それはまだ、ほわほわ浮かんでて全く言葉にならないから、またいつか書ける時に書こうと思うけど。

高校1年、摂食障害とわかって教師が言ったこと。「このままだと将来…。」

以前の投稿にも書いたけど、
ある研修旅行(合宿)をきっかけに、
体重=『数字』が減ることに『ある種の達成感』のようなものを感じるようになり、ひたすら「数字」を減らすことだけを考え、とことん努力した。
努力と言っても、自分は運動があまり好きではなかったから
ひたすら「食べない」我慢。我慢。
で、数字を減らし続けた。
突然摂取カロリーが減った自分のカラダは、最初こそ面白いくらいに
数字がみるみる減っていった。
当然、それに伴って体型も変わっていた。

毎日学校に通っていて、さすがに先生たちもその変化に気づかないわけがなかったらしい。
貧血のような症状、体育でもカラダがどうにもついていかず、
保健室に行かざるを得ないことが増えた。
元々、不登校から始まり、養護教諭の先生とは顔見知り、
というかよくお世話になっていた自分。

ある日、ついに
「終礼後、保健室に来てください」と呼び出しの紙をもらった。
何のことかは当然予想できた。
予想は的中。
保健室に行くと、先生は
「食事はどのくらい食べているの」
「体重はどのくらい減ったの」
「身体でつらいところは」
という質問に続いて、
「生理は」と言った。
その時はまだ、数字を減らす努力を始めて2ヶ月も経っていなかったから、
生理周期に大きな乱れもなかったけれど、
その間での減量とこの生活が続けば次期に生理が止まることは容易に想像できたのだろう。
先生は、
『このままだと、生理が止まるよ。生理が止まったら、将来大人になった時に赤ちゃん産めなくなっちゃうよ。
と言った。
当時の自分は高校一年生。
生理、月経 というものをどの程度どのように認識していたか記憶が定かでない。
まして、それを言われた当時はまだ止まっていなかったから、
軽く聞き流していたような。
止まったら面倒なことが減っていいじゃん、とか
そんなこと言ったっていつかどうにかなるでしょ、まだ先のこと、とか
思っていた。

今その先生の言葉を思い返して、自分が思うこと。

確かに、生理=月経が止まると、妊娠はできない。
仮に生理が再開したとしても、低体重による不妊は、
自分だけでなく、現在この国の問題になっている。

だけど。
数々のつむへの質問の後、一番に先生が言ったことが
なぜあの内容だったのだろう。と思う。

生理が止まることは、ホルモンに影響し、骨密度の低下など
他にも自分のカラダに悪影響になることがある。
だけど、先生は「将来の赤ちゃん」について一番に言及した。

確かに、妊娠を希望した時に、不妊に悩むことはとてもつらいことだと思う。先生も悪気があって言ったわけじゃない事はわかっている。
本当につむを心配して言ってくれたのだと思う。

でも。いま思うと、他にもっと、つむ自身の体調のこととか、
何か言う事はなかったのかな。ってずっと引っかかっている。
それはきっと、「将来赤ちゃん産めなくなっちゃうよ」って、
まるで、「妊娠・出産」が大人になったら当然に経験することを前提にしているように感じるからだと思う。

「妊娠・出産」は女性の人生に当たり前に組み込まれているの?

確かに自分はそれを望んでいる、というより
いまはもはや『夢』みたいなものだけど。
自分は、希望はしている。

だけど、世の女性の誰もが必ずしも望んでいるわけではない、と思う。
いまは色々な生き方、人生の選択がある。
「結婚・妊娠・出産・子育て」などは選択肢としてあるだけで、
それを通過儀礼のように全員が必ず経験する義務はないし、
そのような考えを主とする時代も過ぎたと思う。

いまのつむの心身の健康を通り越して「将来の命」…?

いまつむ自身が置かれている状況やそれに対する考え方が、
余計にひねくれた捉え方にさせてしまっているのかもしれない。
きっとそう。

だけど。
時代うんぬんなのか、そうではないのか。わからないけれど。
自分のカラダを通り越して、一番に、「将来の命」について言及されたことは
複雑かつ、ちょっと悲しいことでもあるな、
と、ほぼナインボーダーのつむはいま感じている。





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